一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

こんなもんです



 「子どもは寝る時間ですよ」母さんに云われて、いったんはベッドに入った兄妹だったが、遠くから切れぎれに聞えてくる笑い声や音楽に起され、窓辺に寄る。声や音楽は、かなり離れた隣家から聞えてきていたのだった。
 「子どもたちが唄いながら木の周りを回っているわ。枝には箱やらお人形やらが一杯。なにがあったのかしらん」
 「サンタさんが贈り物を置いていったのさ」
 「ウチへも来てくれたらいいのに」
 「ウチへはサンタさんは来ないさ、貧乏だからね」
 「ケーキやクッキーが、ほら兄さん、あんなにたくさん。食べきれるのかしらん。余ったらどうしましょ」
 「さぁね、捨てるんだろう、きっと」
 「まぁもったいないこと。取っておけば、明日も明後日も食べられるわね」
 「お金持ちは、取っておかないんだ」

 諦めて兄妹はベッドに入る。と、部屋の扉がノックされ、隣のお婆ちゃんが入ってくる。じつは魔法使いだったらしい。二人が可愛がっている灰色の鳥が問題で、青い鳥を捕まえてこの籠に飼えば、幸せがやって来ると教えてくれる。二人は旅に出ることにした。
 死んだお爺ちゃんお婆ちゃんと、産まれてほどなく死んでいった弟妹たちが、みんな元気に笑っている村へ着いた。優しくしてもらえた。みんな笑顔だった。
 「さぁもうお行き。お前たちが思い出してくれさえしたら、お爺ちゃんもお婆ちゃんも、いつでもここにいるからね」
 せっかく捕まえた青い鳥は、村を出てみたら、籠のなかで灰色の鳥になっていた。

 ありとあらゆる悪徳が分類されて牢屋につながれている村で、牢屋の番人に逢った。深い森では樹齢なん百年の巨木たちから、人間たちにいかにいじめられて今日にいたったかの嘆きと恨みとを聴かされた。ここが幸せの国と聴かされた村では、のべつ食事して縦も横も判らぬほど太った人や、日がな一日寝そべったままの人に逢った。
 その他いくつもの村を、兄妹は経めぐった。どの村でも、青い鳥を視た。もう一歩のところで、捕まえることができなかった。
 もうへとへとだ。歩けないや。そう思ったとき、行く手に視慣れた家が見えた。
 「僕たちの家じゃないか!」

 『青い鳥』は初期プロレタリア文学の論客たちによって輸入紹介され、評価された。築地小劇場の重要演目のひとつとなり、メーテルリンクイプセンチェーホフと並んで、日本の演劇近代化運動のお手本台本のひとつに数えられた。
 昨今は便利至極な語と観念とが横行中だ。曰く、自分探しの旅、自己実現、自己承認欲求……。前途有望なお若い書き手が力瘤に捩り鉢巻きで、これらを描いて見える。むろんご本人は、力作・問題作を寄せてくださっているおつもりだ。
 当方が老いぼれて、感度が鈍くなってしまったのだろうか。そんなことは『青い鳥』にみんなみーんな書いてあったがなあ。不遜にも、ついつい想ってしまう。こんなもんですか。



          12月6日 / 13日 / 15日 / 18日 / 
          21日 / 23日 / 

 先月から引続き、出汁巻玉子を焼いている。民間都市伝説で老人食には玉子を一日一個と聴かされてきたので、三個使いの厚焼きに包丁を等分に入れて三日で消費すればよい。が、実際には間食で摘み食いするので、丸三日はもたない。
 出汁や調味料について、あれこれイタズラを重ねてきて、味については安定してきた。いくぶん手馴れてきたものか、手つきは粗雑になってきた。表面仕上げは下手になった気がする。
 回数は昨月の半分だ。理由は瞭らかで、目玉焼きの回数が増えたからだ。ベーコンだのハムだのソーセージだのの頂戴ものがあり、美味くいただきたいがために軽くソテーして、目玉焼きをの脇に添えている。

 デパ地下の隅っこで間口狭くひっそり営業してきた、玉子焼きで有名な店があって、いささか贔屓してきた。といっても本店の深川までお邪魔したことはない。もっぱら小さな出先店のみの付合いだ。親しい連中との持寄りパーティーのさいには、利用する。各商品の味はすべて自分で試し済みだ。
 「酒盛りなんだ、いつもの甘いほうじゃなく、塩の効いた濃い味のほうを二丁、いただきたいんだけど」
 「お時間ありますか。ひとつしかなくなったんで、奥で焼いて、冷ましてるところなんですが」
 「ありますとも、酒盛りは夕方からです。じゃあひと回りして、あとで寄らしてもらいます」

 持寄りパーティーというと、面々それぞれに工夫を凝らした豪華な酒肴を持参する。ビールと酒と焼酎は会場側の提供だからと、ワインやシャンパンが持参される。横浜在住者からは崎陽軒の期間限定「昔の味の焼売」が来る。有名中華料理店の餃子が来る。巷で今人気の唐揚げが来る。寿司が来る、穴子焼きが来る、湯葉料理が来る。
 面々ニ十歳か三十歳ほど若返ったつもりでいるらしい。年寄りの寄合いで、そんなに食えるもんか。私はデパ地下で酢の物の量り売り。塩辛。せいぜいがところ玉子焼きだ。
 ところが私の持参品は概して人気がない。小鉢に盛られて卓上に並んでも、箸が付けられぬことが多い。幹事によって却下され、開封されぬままになってしまうことすらある。玉子焼きなんぞと、軽く視られるようだ。べつだん残念とも不満とも思わない。あぁそういうもんか、と思って反省はする。が、次回から心を入替えようとは思わない。年寄り同士の酒盛りには、その人の半生が出る。こんなもんですよ。