一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

正月届く



 かさみやさんにお願いしておいた正月食品が、今日届いた。

 元日といったところで、たかが大晦日の翌日に過ぎない。両親が他界してからというもの、とくに御節料理を用意したことなどはない。
 昔はご近所への年始廻りという風習があった。少し離れた親戚同士が往来し合うこともあった。ちょいと上って一杯だけでも、という場合があり、ふいの来訪者もありえた。そのたびに主婦が台所に立つのでは、たまらない。主婦の骨休めのためには、段重ねの重箱に詰めた御節料理の数かずは必須だった。今思い出しても、夢の国の物語のようだ。
 両親他界により世間が狭くなった時期に、ちょうど年始周りの風習も廃れていったから、私にとっては御節料理なんぞ無用の長物となった。とはいえ、新年を迎えて心改まる気分だけは、人並みにある。

 中学・高校の学友笠見君とは、それ以前に四谷大塚進学教室なんぞというところでも、お見かけしたのだったと思う。お父上の経営する水産品加工業を継がれて今日に至った。毎年歳末には、自社オリジナル商品に加えて、日ごろのネットワークを活用して他社商品をお得価格にて仲介してくださっている。つまり「かさみや」正月食品カタログは、割引価格かつ玄人によって吟味された商品一覧表である。
 新巻鮭だのウニだのイクラだのといった華やか商品は私に無縁の世界だが、毎年ほんの少々をお手配いただくようになって、なん十年かが経った。笠見君にしてみれば、手間ばかりかかって売上げに寄与しない客の筆頭だろうが、学友のよしみでお世話くださってきたのだろう。

 私としてみれば、正月は玉子焼きを焼かない。納豆を切らしても補充しない。保存食の煮炊きも控える。伊達巻や黒豆や栗きんとんがタップリあるからだ。好物なのにふだんは手掛けぬ焼魚が食膳に載るからだ。
 郷里の親戚から贈られた品じなと、笠見君にお世話いただいた品じな。これだけが食卓面でのわが正月のすべてである。


 お若い日本舞踊家の若見匠祐助さんから、正月のご一門による発表会のご案内をいただいた。師匠でもあったご母堂を亡くされてもうすぐ二年になる。昨年は服喪中であられたが、いよいよ明年は晴れてご一門による全力発表会ということなのだろう。亡き師匠への追善興行でもあろう。
 チラシを拝見して、演しものとお顔ぶれの多さに改めて驚いた。お弟子さんがこんなに多いのか、ご一門これほどにご発展なさったのか。若い力は凄い。ご同慶のかぎりだ。
 キレイなもんだなァ、華やかなもんだなァ。ほかに感想が出てきそうもないトンチンカンな門外漢でよろしければ、ぜひにも拝見に参上したいところではあるが、あいにく開催日が一月七日である。

 一月七日は新年最初のユーチューブ収録日だ。しかもディレクター氏が諸法へ連絡・調整してくださって、収録後はミニ新年会だという。新年だとて行事も予定もなくポツネンと虚ろに過しているに相違ない老人を慰めるべく、いく人かのお若い友人がお時間を割いてお出かけくださるとのことだ。
 かつての本職といささかなりとも関係する用事としては、このブログ書きとユーチューブお喋りくらいしかない私にとっては、大切な一日である。

 若見匠祐助さんに対してはまことに申しわけないが、ご盛会を祈念しつつご遠慮の連絡をしなければならない。
 日程が重なるなんぞということは、めったにない身の上である。
 「ナニ来年だってェ? 冗談じゃねえや、年内日程が消化できるかどうか、ここが勝負どころたと、踏んばってるってえのに……」
 同じ男の今昔とは、どうにも信じられない。