一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

険しい時代の人たち



 若き日の一時期、なんとかして理解しようとムキになってはみたものの、容易には歯が立たなかった本というものがある。今想えば、肩の力を脱いて、平易に読めばさほどの本でもなかったものを、未熟ゆえにそうはできなかったという苦い思い出である。それもこれも手遅れだ。再読もしくは参照の機会ありそうなものだけを残して、おおかたを処分する。

 吉本隆明については、初期評論からは『藝術的抵抗と挫折』『高村光太郎』『言語にとって美とは何か』(全二巻)のみを残す。また『源 実朝』『最後の親鸞』を残す。他は出す。『情況』のような時局的発言もあったが、拙宅内のどこに収納したものか、今即座には出てこない。見つかったら順次出す。
 詩については、定本詩集はもちろん『著作集』所収の初期詩篇にいたるまで、すべて残す。若き日、吉本隆明の詩にほとんど関心がなかった。今は違う。手っとり早い。
 そもそも論理化でき、命題化できるものなら散文で表現したらいい。しかし作者自身ですら論理化できぬ胸中のモダモダこそが、その人の文学の核心だったりする場合もある。それどころか、論理化できて大声で発言できるような文学など、底が知れているとすら云える。この道理が、若き日の私には理解できていなかった。人間が実在する物体なのか、それとも位置とエネルギーだけをもった運動なのかといった根本問題にすら、視極めがついていなかったのだ。
 等しく「読む」と云っているが、「知る・憶える」と「感じる」とはまったく別物だ。したがって本人ですら論理化・命題化しえぬものは、詩でも呪文でも、寝言でもうわ言でも、そのまま書いておいてくださればけっこうだ。あとは当方にて勝手に読む。

 拙宅内散逸のため、吉本隆明だけではダンボールに隙間ができる。荷姿が整わない。『田中英光全集』のバラ本があるので、付けて出す。面白い文学なんだが、今の若者には読まれないのだろうか。学生時代はボート選手(レガッタ、エイト)としてオリンピックに出場した。太宰治が自殺した一年五か月後に、太宰の墓前で自殺して果てた。
 出世作オリンポスの果実』が収録された第一巻を残そうかという気が起きた。が、今さら私に「瑞みずしい青春」でもあるまい。あるいは『N 機関区』『共産党離党の弁』が収録された第五巻を残そうかという気も起きた。が、すでに手持ちの井上光晴を全冊出した私だ。井上を出して田中を出さぬでは、辻褄が合わない。
 吉本隆明セレクトと田中英光とを、古書肆に出す。

 久野収鶴見俊輔藤田省三共著の『戦後日本の思想』があまりに名著だったために、その後三人の著書を併行して読む習慣となった読者は、おそらく私一人ではあるまい。ところが三人のうち最年少の藤田省三の著書が、私にはもっとも解りにくかった。それでも久野・鶴見を読むように、食いさがってはみた。が、とうとう愛読する著者ということにはならなかった。
 水準は一流だと、今でも思っている。が、手持ちの藤田省三を全冊、古書肆に出す。

 同様に、中井正一の文章も、私には難解だった。滝川事件にさいして、抵抗左派の学生・院生グループの中心だった人だ。同人雑誌『美・批評』から『世界文化』へ、さらには週刊新聞『土曜日』へと連なる、戦時下京都における知的抵抗グループの中心人物だった。久野収からすれば兄貴分だ。戦後も美学の論述を続け、国立国会図書館の副館長となった。
 一部ではカリスマ的に崇められる中井だが、文章は難解だ。手持ちの中井正一を古書肆に出す。

 中井、久野、鶴見、藤田と並べば、どうしたって連想ゲームのごとくに雑誌『思想の科学』を思い浮べずにはいられない。同誌の理念にもっとも合致した論客の一人に安田 武がある。学徒出陣にて出征したあげくにソ連軍捕虜となり抑留生活を体験した人だ。
 安田の論述は徹底して具体的で、あくまでも証拠物件に沿って語られる。抽象的観念をもって取りまとめる手口を採らないために、高度な思想性を帯びぬ評論家と読まれがちだが、それは読むほうの水準が低いからだ。信用できる面白い評論家だ。
 しかしながら安田著作に鼓舞されて未知の世界を覗いたり、新たなフィールドワークに踏出したりする脚力は、もはや私には残ってない。安田 武を古書肆に出す。

 京都大学つながりということだったのだろうか。山田宗睦の著作が出てきた。影響を受けるほどなん冊も読んだ記憶がない。
 上の論客らよりやや年少ながら、転向を論じたかと思えば時代小説を論じたりして、自由な分野横断をしてみせた評論家に中島 誠があって、面白い評論家と思った記憶がある。にもかかわらず、その後深追いした形跡が残ってないのは、いかなる事情だったのだろうか。記憶にない。
 山田宗睦も中島 誠も、古書肆に出す。