一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

故障者リスト



 蓋付きのどんぶりが、一脚だけある。昭和の生残りだ。

 わが家にはふた系統のどんぶりがあった。ひとつは藍色地に、水流だろうか柳の枝だろうか、灰色の縦筋模様が全面に入ったもので、古風な浴衣地のごとくおとなしく、地味なものだった。もうひとつは昔の日本蕎麦屋で天丼や親子丼の器としてよく視た、白地部分と藍地部分とに西瓜帽のごとく六分割され、それぞれに赤絵模様が描きこまれたものだった。
 どちらも蓋付きで五脚揃いだったものが、年月を経るうちにいくらか数が減った。東日本大震災で大々的に割れ、浴衣柄が二脚と西瓜帽柄が一脚残った。すでに一人家族となっていたから、在庫はそれで十分だった。
 二度の入院生活を経験して、自炊は粥飯との習慣になったから、普通サイズの飯椀は食器棚の奥に仕舞われ、どんぶり盛り切りが日常となった。浴衣柄を好み、優先的に使用した。気を付けてはいたが、洗いもののさいにぶつけたりして、浴衣柄の二脚はこの十年で割れていった。西瓜帽柄一脚だけが蓋揃いで残った。それに浴衣柄の蓋だけが二枚残っている。

 ただ一脚の生残りとなった西瓜帽柄の縁の、ちいさなヒビに気づいてから、一年半ほどになる。湯呑の貫入に茶渋が染み入ったように変色してきたから気づいたのであって、ヒビはそれ以前から入っていたのかもしれない。
 釉が掛っていることだし、丁寧に使えば問題はあるまいと思ってきた。が、半年前は一年前はと思い出してみると、明らかにヒビは明瞭になってきた気がする。上機嫌でいるようでも、ある日突然にパカッといく場面も覚悟しておかねばならない。現にさような最期をとげた先輩どんぶりもあったのだ。

 急な事態に備えて、控えのどんぶりの目星をつけておくべきだろうか。けれども今度買うとすれば、わが生涯の最後まで付合う食器となるかもしれない。慎重に選びたい気もする。いや慎重に選ぶべきだ。
 が、まだまだ先のことだとたかを括っていた災難にあんがい早く、しかも急に見舞われて、いつも十分な対応ができずに失敗してきたのが、わが人生ではなかったか。時局はいつも、私の目論見よりは速く推移する。推移してきた。


 幕引きを委ねる抑えの切り札は慎重に選ぶとして、臨機の用に供するためのショートリリーフもしくはキャッチボールの相手くらいは、用意しておいても好い。思い立って、ダイソーの棚を眺めて歩いた。私の手にもっとも馴染む型と大きさのどんぶり一個と、ついでに私の角型フライパンのサイズにピッタリの、玉子焼き用返しへら一本とを買った。
 ともに樹脂製品である。二点で税込み二百二十円なり。どんぶりに蓋は付いてない。

 樹脂の汁椀にはつい最近まで馴染みがあったが、飯椀となると、学生食堂以来ではないだろうか。大学周辺の定食屋でも経験した記憶がある。
 小学校給食では、アルマイトの丸皿の中央に直径を計るような山が走っていて、片側がコッペパン、もう片方がおかずの領分だった。ミルク(脱脂粉乳)椀もアルマイトの半球形ボウルだった。いずれも乱暴に扱われて波うったり凹凸があったりした。
 中学では母による弁当で、アルミ合金の弁当箱だった。高校では生徒食堂で、初めて樹脂食器に触れたのではなかったか。アルミから樹脂に替ったとき、かすかに大人になった気がしたものだ。
 そして今、いかにも軽い樹脂椀に戻る。ヒビ入りの西瓜帽どんぶりは故障者リスト入りだ。磁器製どんぶりの血統を途絶えさせぬよう、食器棚の奥に温存されることとなろう。