一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

令昭和



 これより一席、あい務めまするの図。

 これからユーチューブ収録である。ほぼ月一ペースで、機材一式が詰まったトランクを提げて、ディレクター氏がご来訪くださる。当方は待ち受けて、講釈師の物真似よろしく昔噺を語るだけだ。新たに勉強した成果を視聴者さまがたに問うわけではない。ほとんど消失してしまった記憶の塵箱から、わずかに消え残った断片を拾い集めては継ぎはぎして、なんとか時間内の小噺に仕立てるだけだ。跳んだり脱線したりの与太噺である。
 語った後も、バリを削ったり、要所を繋げたりの編集作業は、ディレクター氏にすべて任せっきりだ。語り損なっても修正すらしない。語り間違いはすべて、耄碌演者の勘違いとして放置する。余生の仕事のひとつとの自覚はあるが、なんとも無責任きわまる仕事ぶりだ。高さにおいても正確さにおいても、他と比べたり競ったりはしない。今さら文界へも学界へも、打って出る気がないからだ。

 それでもディレクター氏が管理するチャンネルには、四百三十名の登録者がおいでになり、総視聴数も三万アクセスに迫る勢いだという。じつにありがたいことであり、面目ないことでもある。

 昨日は若者グループの仲間に入れてもらって、古書市漁りだった。どなたかと時間のお約束を交す仕事が二日続くのは、はて、いつ以来だろうか。めったにないことだ。
 三十年前であれば、手帳の月づき予定表ページは余白がほとんどないほど汚れていたものだ。今は新品同様にページが白い。身に付いた習慣を尊重して、高橋書店の同型手帳を使い続けてきた半生だが、せっかくの多機能にたいしてもったいなく、面目ない想いだ。
 昨日はまた、縁戚のご葬儀だった。なにを措いても焼香に参列すべきだったが、お子たちお孫さんたちお揃いのご家庭で、しめやかにご家族葬を営みたいとのご意向を報されてあったので、お言葉に甘えて失礼した。つまり手帳の日程表欄には、同日の「葬儀」に△が付され「古書市」に〇が記入された。こんなことも絶えてないことで、すっかり忘れていた感覚だ。こういう場面もずいぶんあったよなあと、妙な感慨に襲われた。


 ところで今日の収録では、ディレクター氏による音声収録のほかに、カメラマン女史がご来訪くださるという。収録中のスナップ写真のほかに、動画も撮るらしい。若くしかも美形・美声の被写体であれば、演者動画付きのほうが視聴者さまにとって馴染みやすく、登録者数にも再生視聴数にも好い影響を及ぼすことだろう。だが歯抜けのジジイが記憶を手繰り寄せながら、拙劣な滑舌で語る姿なんぞにどんな面白みがあるのだろうか。オウム真理教の E 弁護士のようではないか。
 だいいち機材にしても、技術にしても、時間にしても、一円の回収も見込めぬ全額赤字作業である。しかしながらどんなものができるやら、思い付きはすべからく実行・実験してみるという精神にはまったく賛成で、全面的に協力するのはもとよりだ。

 思えば、わが若き日の同人雑誌なども、形式上は奥付に「頒価なん円」と印刷したものの、一円だって回収するつもりはなかったし、実際に回収しなかった。信頼する知友にお配りし、定められた機関や新聞・出版関係に送付し、尊敬する文士がたには未開封のまま屑籠直行の覚悟で、「畏れながら」と無躾けに謹呈したりもした。それが修業というものだと、信じて疑わなかった。
 文学部や芸術学部の教員となってみて驚いたことのひとつは、学生たちが自分の作品の掲載誌を、臆面もなく平気で有料販売することだ。手売りであれ大学祭での展示販売であれ、さらには文学フリマへの参加などをとおして、「収益いくら」だの「元がとれた」だのと話題にしている。屈託のない堂々たる態度と、いちおうは申してよろしいのではあるが、私の感性とは異なる。「気高き無償性」などという云いかたは、もはや死語に類するのだろうか。良い時代になったと、申してはおくけれども。

 ディレクター氏もカメラマン女史も、今のところ全額持出しの、文字どおり「気高き無償性」そのものの作業だ。なんとかしなければならぬという現実問題は、別に考えるとしてひとまず措いて、まずはお二人とも私とどこか似かよった、昭和感性のお人である。
 ディレクター氏と私とのマンツーマンで続けてきた、収録三分に雑談七分といった収録作業に、もう一人加わるわけだから、小腹の空き具合に対応するおやつも、今日は三人前である。