一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

ブルペンにて



 ルーキーと、だれもが眼を疑った奇跡的カムバックの老選手とは、初対面だ。

老選手 初登板お疲れさん。さぞや緊張したろう。入団してどれくらい?
ルーキー ありがとうございます。ガチガチでした。まだ四日目です。
老 そりゃ運が好いや。古株どんぶり連中が、おおむね割れ果てたからねえ。
 あんた、樹脂椀かい。そいつあ珍しい。今の監督は、差別しないから。
ル 周りは陶磁とガラスばかりで、樹脂は僕一人でした。心細かったです。
老 グラウンド(膳)だけさ。冷蔵庫はタッパーやフリーズバッグで一杯だ。
 気にしないで、真ん中で飯の世話だけしてりゃいいさ。監督意向だもの。
 周りはやたら賑やかだろう。老人健康食は品目重視とかいう呪文でね。
 ま、頑張りなよ。結果いかんでは長期契約の可能性もあろうってもんだ。
ル はいっ。時に先輩は奇跡の復活だそうですが、だいぶお古いんですか?
老 古いといやあ古いがね。そうさなあ……

 入団は四十年以上も前になろうかねえ。俺の色味が先代監督(今の監督のおっ母さんだがね)の好みでね。一時は重宝されて、なんにでも使われたもんさ。漬物系も担当したし、佃煮や煮豆など甘辛系の面倒も看させてもらった。
 けどね、当時としては色合も絵柄もお洒落過ぎたかねえ。モダンキッチンならまだしも、小市民の保守的台所には不向きだったようだ。肌色やピンクといった、どんな食物をも美味そうに見せちまう色とは、似ても似つかないからねえ。つまりは飽きられたんかなあ。

 後輩に妙に愛想の好い、色味も絵柄も派手めな奴が入団してきてね、真紅の椿の花をどてっ腹にも蓋にもでかでかと出して、周りは一面の葉群というわけで、濃淡の緑で敷詰められてるってな意匠でね。どこへ出しても可愛がられるような奴さ。俺はすっかり登板の舞台を奪われちまった。ついには食器棚の上段奥が定席になっちまったってわけよ。ま、この世界にゃあよくある噺で、恨みに思う筋合いでもないがね。
 二十なん年前だったか、今の監督に代替りしたんだがね、俺の色味は新監督の好みでもあるんだ。知っちゃあいたんだが、ゴリ押しは慎んだ。先代監督の習慣をなるべく踏襲しながらやってゆくという方針が、明らかにされてたからさ。

 ところがだ。このまま引退式も登録抹消会見もなしに、あやふやに忘れられてゆく運命かと思われたこの俺に、監督から突然お声が掛った。一週間ほど前のことさ。寿命ってもんが俺たちにもあんのかねえ、長年不断の活躍を続けてきた椿小鉢の奴が、突然カパ~ンと割れちまったとさ。監督の粗雑な扱いもあったらしいが、そういう人為的問題をも含めて、宿命っていうか寿命っていうかが、あるんだろうねえ。
 今の監督は選手それぞれの使命や役割を決めて、各人に専門性を持たせて起用するんだが、椿の奴は何年もラッキョウ容器を拝命してきていたんだ。同役はいない。奴だけがラッキョウ専従担当だったわけさ。
 さあその専従が突然割れて、代りをどうするってことになって、俺たちが眠ってた在庫ベンチが時ならぬ検分を受けることになった。なんとはなしの曖昧用途で選考されるわけじゃない。用途はラッキョウ容器と限定された、決め打ち選考さ。意匠だの丈夫さだののほかに、寸法ってもんが考慮される。で、あれこれ勘案の末に、なんとこの俺に、じつに三十年以上ぶりにカムバック登板が命じられたというわけさ。

 なぁに、お役目についちゃあ心配いらねえ。丈夫なもんさ。棚の奥まった処でじっとしていたから、東日本大震災のときにもまったく無傷だった。それに色味はもともと、監督の趣味に合ってるんだ。
 問題はただひとつ。ガラス引戸がきっちり引かれる食器棚だから、埃が層をなして積もるなんてことはねえんだが、それにしても三十なん年ものあいだ一度も水にくぐったことなかったんだぜ。くすんだように薄っすらと色付いてらあ。擦ってみると、材質の変色つまり化学変化じゃなくて、やっぱり汚れさ。
 これにゃあ監督も、骨を折ってくれてさ。ひと晩水に浸けられてから、まずスポンジで洗剤を塗りたくられ、金属タワシでゴシゴシとやられ、布で覆われた食器用スポンジで丁寧に洗われた。生渇きになったところを観察されて、斑点状まだら状にくすみが残る箇所を、また洗剤を塗られゴシゴシやられた。
 いちおう使えるようにはなったが、俺に云わせりゃあ、往年の俺の美しさはこんなもんじゃなかったぜ。しかしまぁお役目はラッキョウ容器ってんだから、使ってるうちにゃあ酢で洗われて、もっとましな表面になるだろうさ。もちろん人体に影響なんぞ出っこねえていどだから、安心してたらいいや。