一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

蛇じゃ



 信州は墨坂ってところに、中村ナニガシって医者がおった。気まぐれの面白半分でね、今まさにつるんでるさなかっていう二匹の蛇をね、叩き殺しちまった。

 その晩のこった。その医者のあそこがね、つまりそのゥなにだ、大事なイチモツがよ、ズキズキ痛み出しちまった。どうしちまったんだろうと思ってるうちに、見るみる腐れてきてね、しまいにポロンと落ちちまってさ、そのまんま呆気なく死んじまった。

 その子が跡を継いだ。三哲と云われたくらいだから、賢い男だったんだろうがねぇ。しかも並なみでない太くたくましい松茸のようなもんを、もった男だったそうだ。
 前途には期待と妄想一杯。妻女を迎えてね、いざ夫婦の始まりってんで、意気込んだんだがねぇ。そん時になると、ふだんは棒のようだったもんが、とたんにメソメソと縮こまっちまって、お灯明の芯さながらにふんわりスベスベしちまうんだそうだ。

 この期に及んで、まさかからっきし用立たないってのももどかしく、だいいち恥かしくってならねえや。やがていまいましく思えてくる。そうだ、相性が悪かったんだ。相手が替れば道は開けるにちがいないと、思いついてね。金に糸目もつけずにとっ替えひっ替え、かれこれ百人ものお妾さんを抱えたんだと。でもみんなみぃ~んな、前のとおりだったそうだ。
 苛ついていらついて、一時は気が狂ったようだったらしいが、さてどう治まりを着けたたもんだかねえ。さようさ、今でも独身でいるよ。


 この手の因果噺ってのは、『宇治拾遺物語』そのほか、昔むかしの説話本にあるだけの噺と思って、たいして気にも留めずにいたんだが、こんな天下泰平の世に眼の前で実際に見せられちまうとはねぇ、思いも寄らなかったぜ。
 世間の人たちも、疑う余地なくあの蛇の執念がね、その家の血筋を絶やそうとしてるにちがいないと、もっぱら噂してたっけ。

 つまりはね、生きとし活けるもの、ノミ・シラミの一匹だってさ、命惜しいは人と同じだってことだぁね。ましてや番いの二匹がつるんでるところを、あろうことか叩き殺したってんだから、やり口の罪深さもひととおりじゃねえってことだよ。
 よしんば先がねえっってことになっても、ちいっとでも生きていてえのが、生き物ってもんだからねえ。

   魚どもや桶ともしらで門涼み   一茶

      本歌
   水ふねにうきてひれふる生け鯉の
     命まつ間もせはしなの世や  光俊卿

 光俊卿かい? 順徳天皇の側近だった鎌倉期の貴族さんさ。歌は藤原定家卿のお弟子だったらしいがね。

一朴抄訳⑦