一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

空の寒



 寒さを押して、買い物に出る。

 疫病騒ぎがあって、ウォーキングの習慣を怠けるようになってから、運動不足による気力・体力の減退は眼に見えて顕著だ。せめて買物くらいはという気がある。草履・サンダルを避け、靴に履き替えるようにしている。ただし風が冷たい日は苦手だ。
 「雨上等、雪上等じゃねえか。歩くとしようぜ」
 時代劇の旅烏みたいな台詞を口にしたことはないが、気分だけはそんなもんだった年頃が、たしかにあった。今では雨か雪なら、一も二もなく外出を我慢する。勇を鼓して出かけるか、それとも自重するかと迷うのは、せいぜい風が冷たい日までだ。

 閉店したファミリーマートの前に、幌つきの大型トラックが停まっている。解体屋さんだろうか片づけ屋さんだろうか、なん人もの若い衆が、分解されたカウンターだの商品棚だの、最終段階の残骸を持出しては、トラックに積込んでいる。これが済んでしまえば、中は閉店後のダンスホールのように、だだっぴろく殺風景で薄暗いだけの空間になってしまうようだ。跡はどうなるのだろうか。ご近所の事情通はご承知なのかもしれないが、私は知らない。
 セブンイレブンで煙草を補充する。煙草以外の買物をしたことはない。電気・ガス料金の払込みと、コピー機・ファックス機を利用したことがあるだけだ。

 川口青果店で玉ねぎを補充。いつもカボチャばかりでも片寄り過ぎかという気を起して、ブロッコリーを買ってみた。在庫の人参・じゃが芋を使い切ったら、たまには大根でなにかしてみようかという気が、ふと頭をよぎった。
 大将も若おかみさんも、私よりずっとお若い。お母さん(大おかみさん)だけが私より齢上だ。腰が痛いとか肩が上らないとかおっしゃりながらも、お元気で店番しておられる。商店街を歩いても、お齢上はほとんど見かけなくなった。懇意の店に限れば、喫茶店アルムのママさん(マスターのご母堂)と、高木電気商会の専務と、中華十八番のおかみさんと、ここ八百屋のお母さんくらいのもんだ。
 たいていの店は、代替りした。さもなければ、ここ三十年以内に開店した新しいご商売だ。近隣に聞える行列のできる名店ベーカリーの大ママさんだって、私と同齢らしいが、もう開店して五十年近くになる。

 「寒いのはイヤだねえ」
 店先でも、往来で擦違っても、挨拶は同じだ。半年も経てば「暑いのはイヤだねえ」になるだろうとは、お互い承知しながらも、毎年同じ挨拶となる。


 空が寒い。辛夷(コブシ)の枝ぶりの向うの空に、そう感じた。晴れているのに陽射しはなく、風が吹いて空気が冷たい。戦地や被災地にあるかたがたからすれば、贅沢でバチ当りなボヤキだ。
 寒い時期に、椿の花を愛でるかたもあろう。早咲きの梅花をことのほか可愛がるかたもおられよう。解らなくはないが、肌寒い時期の私の悦びは少し違う。齢をとってから興味が増したのは、花木の花芽吹きだ。すぐさま思い浮ぶ典型例としては、木蓮辛夷である。
 雨風をやり過す紡錘形に構え、災難や敵による被害を緩和すべくびっしり目の詰んだ繊毛で鎧う。人間が寒い寒いと云って身を縮こめている時期に、彼らは一年でもっとも用心深い時期を過している。

 ご近所のマンションの、往来に面した車寄せの奥に引っこんだあたりに、目立たぬ姿で辛夷がひと株立っている。他にも庭木として可愛がっておられるお宅がきっとあるに違いないが、私はまだ発見していない。散歩の回数と範囲とが、まだまだ足りぬと見える。