一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

鳩の昼食会


 鳩の会議。じつは昼食会だ。

 西武池袋線は飯能までさしたる方向転換もなしに、ひたすら西へと下る。上り電車と下り電車とは左側通行のようにすれ違うから、いずれの駅においても、下りホームは南側に、上りホームは北側にある。
 鳩たちは夜間どこに巣くっているのだろうか。陽射しの好い午前にはどこからか駅周辺に寄ってきて、駅舎南側に線路と並行して張り渡されている電線に、行列して羽を休める。わが駅にあっては、その数七十から八十羽。それ以上の日もある。四十羽ていどしか姿が見えぬ日は、陽射しが悪い日か並外れて寒い日だ。
 風の強い日には、さしもの鳩にも電線上では足場が悪いとみえ、下り線ホームの屋根の上で遊んだり休んだりする。鳩たちの爪がいっせいに波板を引掻くシャワシャワという足音が、ホームで電車を待つ者の耳に異様なほどに聞えてくる。北側の上り線ホームの屋根へは、けっして移動しない。
 雨降りや雪降りは、鳩にとっても始末が悪いとみえる。姿を見せない。ただしやんでしまえば別だ。路が濡れていようがうっすら雪が残っていようが、平気な顔して裸足で歩き回る。

 鳩が駅舎周辺に集まるのは、足場の好い遊び場や休憩場があるからでもあろうが、つねに人間の姿が眼下にあるからでもあろう。人間がウヨウヨいる場所には、肉食獣や蛇など怖ろしい天敵が寄って来ない。太古の昔からの習性が、遺伝子にまで摺り込まれてあるのかもしれない。あるいは人間自身が気づかぬだけで、大量の人間の肉体か着衣かからは、鳩にとって腹の足しになるものがなにか落下したり、振り撒かれたりしているのだろうか。稀には、ベンチに腰掛けてパンくずや豆を鳩たちに投げ与えている人を視かけることもあるけれども。

 陽射しが好くても、西高東低の気圧配置とかで、めっぽう風が冷たく、私にとっては耐えがたいほど寒い。鳩たちは電線からも駅舎の屋根からも降りてきて、地上で会議している。よくよく観ると、アスファルトの表面をさかんについばんでいる。あたりにはアスファルトの干割れた隙間からさえたくましく芽を吹くような、いわゆる道端の野草が、半分枯れ果てた色と姿で風に揺れている。昨夜来の強風に、花だか花粉だか実だかは知らぬが、人間の眼になんぞとうてい見えぬ微小なものをアスファルト上に大量に撒いたと見える。それが鳩たちにとっては大好物らしい。そんなもんが、ほんとうに美味いのだろうか。

 正月総菜明けということで、久しぶりに仕立てたカレー(のようなもの)は、懸念したとおりアッという間に消費し了えた。食うに容易なじゃが芋と人参とで保存食を補充しておこうと、次は肉なしビーフシチュー(なんという矛盾語だろうか)を仕立てた。
 例によって料理酒も和風出汁も使い、チューブの擂りおろし生姜も使って、美味でなくとも失敗するはずのない味にした。前回の記憶より強い味にしてみようかと、マーガリンのほかに、新たな試みとして隠し味に醤油を差してみた。
 味見してみたら、たいそう美味い。と云ったところで、すべての加減はテキトー按配だから、同じものをもう一回作れと云われても、無理というもんだ。

 鍋が冷めるのを待ってから、心落ちつけてもう一度味見した。美味い、とは思ったものの、今度は不思議な思いが湧いた。美味いとはなんだろうか。怪しいもんだ。奇妙なもんだ。そしていい加減なもんかもしれない。
 あの鳩たちは、けっしてこれを美味いとは云うまい。