一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

ハーケン一本



 ベーカリーの総菜パンにて、朝食とする。メンチカツパン、大切な仕事に出て行く日のゲン担ぎだ。

 最年長の出席者が、今さら気分を新たにしたり、身なりを整えたりしたところで、会に華を添えることにもなるまい。むしろ滑稽だ。隅っこの置物として、くすんだ存在であればよいのだ。とは承知しつつも、昨日は散髪に行った。まだ視ぬ若き才能に出逢い、期待したい気持がどこかにある。

 文学雑誌が主宰する新人賞の授賞式と、その後の茶話会だ。枚数制限のほかには、新しい息吹が感じられる作品、という募集要件があるのみで、応募者の年齢・資格は問わない。つまり私が応募作品を提出してもかまわない。新味などなかろうから、予選も通過しなかろうけれども。
 私は選考委員の一人だ。新文学の予知などできようはずもない。それはお若い委員がたにお任せして、私はせいぜい前時代の作法や技法や語法にあるていど通じた人間の一人として、参考意見を具申する役どころである。反面教師の場合もあれば、少なくとも私くらいは越えて行って欲しいというハードルになる場合もある。

 私が顎までドップリと浸かってきた「近代文学」は、文字どおりカギカッコに入って、古典芸能の一分野と考えてもよろしい状態となりつつある。賞味期限が尽きたというわけではない。これからも生産され続けようし、鑑賞され続けもしよう。ただ時代を代表する最新ジャンルではなくなるというまでだ。今日もどこかで謡曲や仕舞の稽古に励む人があり、日本舞踊や長唄の発表会が開催されているのと同断だ。
 歌舞伎座近松が、国立劇場で南北が上演されていても、だれも奇異には感じない。月末には新聞・雑誌の劇評で、同列に比較され評判される。じつは近松門左衛門鶴屋南北とは、年齢にして百二歳違うのである。ところが私と芥川龍之介とは五十七歳しか違わない。夏目漱石とだって八十二歳しか違わないのである。
 「近代文学」が古典芸能の一分野になったという意味は、もはや多少の古い新しいを問い詰めている場合ではないということだ。どれもこれもが、古いと云えば古いのだ。繰返すが、古くなったから価値を喪ったわけではない。

 定義を狭く厳しく限定すれば、じつは近代文学はとうに終っている。今では文学と称ぶのはいかがかと思えるものまでが、文学とされてしまっている。べつだん嘆かわしいことでもない。云いかたを換えれば、文学の定義が広く多彩になったに過ぎない。私のようなほんのひと握りの時代遅れが、古い定義を懐かしがっているだけのことだ。
 視聴覚ジャンルとの複合化やウェブ上での表現など、新しい文学ジャンルにとっては考慮せざるをえぬ要件となっているのだろう。その傾向は今後さらに強まることだろう。
 「書く」ことを志してさような時代に船出してゆく若者たちに、私ごときがいかなるはなむけの言葉を贈れるものだろうか。


 準備のお手伝いなどなにひとつできかねるが、開始二十分前に会場入りした。意外なかたと顔を合せたり、思わぬご相談ごとが発生することも、かような場ではありえないでもないからだ。
 設営係や写真班が忙しそうに働いている。主賓は編集長や偉いさんがたと、控室で談話中だという。ほかにはどなたの姿もない。会場を縁取るようにぐるりと並べられた椅子列はすべて空席だ。隅っこに腰掛けて、眼を閉じた。

 本日の主賓たる受賞青年に向けて贈る言葉など、私にあるだろうか。文壇やジャーナリズムが主催する大規模で晴がましい賞はもちろんのこと、地方媒体や篤志スポンサーによる限定的な賞ひとつ受賞した経験はない。当然だ。応募ということをしたことがない。そんな男がよくもまあデカい面をして、という噺である。
 しかしお若い受賞者にとっては、今日は特別な一日となろう。手探り無手勝流で歩み始めた行く手に、視あげても霧に隠れて頂上が見えぬ絶壁が顕れ、そこに記念すべき第一本目のハーケンを打込む日となるかもしれない。かすかなりともお力になれれば嬉しいが。
 荒蕪地に植林するようなもんだ。貴重なお役目を拝命したとの自覚はあるが、この苗が繁茂し結実する風景を、わが眼にすることはあるまい。それほどの時間はたぶん残されてない。
 思い返せば、私はハーケン一本すら携帯していなかった。古い文学定義に依拠していたから、それでもやってこれた。