一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

銭湯帰りの愉しみ



 銭湯からの帰り道には、ことに寒い季節には、愉しみがひとつある。

 元来ココアというのは、好きな飲料だ。けれども日々の暮しで頻繁に口にしてはいない。のべつ喫茶店に入り浸った若き時代、ココアは珈琲や紅茶やミルクよりも若干高価なメニューだった。十円でも節約したい生活事情のもとでは、優先順位の低い贅沢品だった。その時代の習性が、癖として今に残ってあるらしい。
 加えて、東西南北を井桁のごとくに走る道路に囲われた拙宅ブロック(つまり同番地の号違い)周辺に設置された八台の飲料自販機には、ココアが搭載されてない。ビッグエーには、圧倒的に廉価の珈琲も紅茶もふんだんにある。ついついココアは敬遠される。
 ところが隣町の銭湯からの帰途のとある駐車場脇には、値引きをコンセプトに掲げるハッピープライスなる飲料自販機が設置されてあって、小岩井の「ミルクとココア」が搭載されてある。湯上りの有頂天気分でひと缶買って、飲みながら歩く。ポケットの中で温もりを握りしめつつ帰宅してから、一段落の想いで飲むこともある。
 ココアを口に含むと、毎度のように思い出す光景がある。一九六八年のことだ。日付けを憶えているわけではないが、受験浪人の予備校生だったから、年だけは確かだ。

 予備校をサボってよく行く喫茶店は、歌舞伎町の「ヴィレッジゲイト」だった。モダンジャズのレコードを聴かせる店である。まっすぐな長い髪を中央から分けた、カルメン・マキ似のウェイトレスがいて、盗み視るようにいつも眺めていた。
 ある時、長身細身の黒人青年三人が快活に喋りながら来店してきた。朝霞駐屯地あたりから非番で出て来るのだろうか、当時新宿のジャズの店に、そういうアメリカ人青年たちは珍しくもなかった。彼らのテーブルにウェイトレスが注文を訊きに近づいた。二人は珈琲を注文したのだろうが、三人目が「チョコー」と大声で云い放ったたきり、ウェイトレスなど眼に入らぬかのように、仲間との会話に興じていた。ウェイトレスは訊き返した。「チョコ―」とまた繰返した。彼女は怪訝そうな顔で立ち尽していた。青年は気づき、丁寧に云いなおした。
 「チョッコレート」
 「ええっ、チョコレートぉ?」
 彼女は困惑の表情で、立ち尽していた。カウンターを振返り、店長に助けを求める仕草までした。
 「ココアのことだよ」
 通路を挟んだ対岸のテーブルに腰掛けていた私は、彼女に声を掛けた。「ああ、ココアね」となって、その場は治まった。アメリカ人青年はおおいに面白かったらしく、「ココア、ココア」と、五回も六回も繰返した。事実としては、それだけのことである。

 中学生レベルの片言英語を駆使して、ヘイガイズ・ドリンキングチョコレイト・イズ・コールドココア・インジャパン、とでも云ってあげれば親切だったのだろうか。しかし気後れした私は、声に出せなかったのである。だいいち、私よりは明らかに齢上のアメリカ人に、ヘイガイズはいかんだろう、かといってイクスキューズミ―・ミスターでは、いかにも場違いだ。それ以外の切出しかたを、咄嗟に思いつくこともできなかった。

 五十五年以上も前の一場面だ。長い髪のウェイトレスも、カルメン・マキ似という言葉で記憶するばかりで、具体的な容貌は思い描けない。だのにさも愉し気に「ココア、ココア」と連呼していた黒人青年の顔はうっすら憶えている。記憶というものの正体は、いったいなんなのだろうか。
 「ヴィレッジゲイト」とは小路をはさんだ筋向うが、伝説のマンモス喫茶店「王城」だった。西洋の古城を模した全面煉瓦塗装で、左右に円塔をもつ偉容を誇って目立っていた。小説家のリービ英雄さんが日本への留学生だったとき、ウェイターとしてアルバイトなさったのは、わが一件の数年後ということになる。
 好い気分の湯上りに思い出すべきことでもないが、ココアとなると、つい。