一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

紙一重



 じゃが芋をいかに食うか。算段の軸はどうやらそこだ。

 一日一食半。それに机もしくはパソコン前にかなり長く腰掛けているから、ついつい口淋しくなって間食をなにか。経験から割りだされた、わが適切食事量だ。それ以上摂取すると体重が増える。酒を飲んでも、翌日体重が増えている。
 一食は、粥飯に月並惣菜ばかりをとにかく品数多く並べたチャント飯。半食は麺類・パン・餅・中華まん・惣菜のみなど、どうとも定めぬテキトー飯だ。買食い・外食も含まれる。時期のマイブームに左右される。ここ半年ほどは、主としてじゃが芋を食ってきた。
 べつだん珍しい食いかたに興味はない。熱を通してカレ-味・デミグラス味・ホワイトソース味で仕上げるだけだ。バターソテー、ふかしたままで塩を振りかけるなんぞという、ことさらな手抜きメニューも混じる。いずれにも飽きてきたので、一度原点に戻ろうかと、和風に煮てみた。醤油味の甘辛で、いわば肉じゃがの肉抜きである。

 材料は半切でひと口大となる小ぶりのじゃが芋を六個、人参一本、玉ねぎ一個。それに今回は油揚げ二枚を合せる。下茹ではじゃが芋が八分間に、人参が十分間。
 下茹でのあいだに、鍋を用意する。水三百に料理酒七十か八十。和風出汁の素を投入し、擂りおろし生姜も入れてしまう。入れ時を変えてみたこともあったが、私の舌では違いが判らない。下茹でした野菜を笊に取ったら、余り湯で油揚げの表面をサッと洗い、一枚を四分切りに。玉ねぎ一個は西瓜割りに八分割しておく。

 水加減できた鍋に具材をすべて入れてしまい、水面に頭を出す野菜がないように凸凹を均す。砂糖をたっぷりめに差して、そうまでする必要もなかろうが、落し蓋をしたうえに鍋蓋しておよそ十分間煮る。
 蓋を取って味見する。しょうがねえなァこんな甘ったるいもんをこさえちまって、くらいでかまわない。和風煮物は甘め辛めが基本と、昔から決ってる。この状態から醤油を差して、もう一度味見してから、また十分間煮れば味が締る。もう落し蓋は要らない。
 火を引いたら、けっして蓋を取らずに、時間をかけて冷ますのが肝心だ。上品な煮物というのではなく、弁当のおかずにちょうど好いような、はっきりした味となる。美味いと下品とは紙一重だ。
 チャント飯の惣菜一品というなら四日分くらいはあるのだろうが、テキトー飯の代りとしても、気が向けば間食としても食ってしまうから、せいぜい丸二日分といったところだろうか。

 手をかけた間食だけ食っていれば健康的かつ経済的なのだろうが、そうまで出来の良い男ではない。買物に出たさいにビッグエーで駄菓子を買ってきてある。
 若き日は煎餅・おかき好きにして豆菓子好きだったが、歯を喪ってからは叶わぬこととなった。ジャンクフード系はもう何年も口にしてない。和洋で分ければどちらかと申せば和菓子党だが、概して和菓子は一個またはひと切れがしっかりしているので、油断すると摂取過多となりやすい。

 ブルボンの本社はわが郷里にある。ふる里納税の気性は持合せぬから、同郷のよしみで贔屓しているわけではないが、頻繁にお世話になる。材料・製法・色彩体裁において西洋菓子風を装った駄菓子である。材料が少なく、軽く、廉価なので助かる。
 もともと机やパソコンに向うさいに、無意識のうちに増える煙草の本数を減らす目的で菓子を口にするようになったのが経緯だから、いかに好物とはいえアップルパイやシュークリームをむしゃむしゃやっていたのでは、躰にも財布にもかえって実害というもんだ。同じ理由で、金鍔も月餅もいけない。大好物と有害とは紙一重である。