一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

時代の痕跡



 文学や芝居や映画にとって、新宿の街がとても重要だった時代の思い出噺だ。

 映画界のツワモノがたから噺を伺うという、三夜連続の講演会があった。場所は紀伊國屋ホールだったと思う。
 第一夜は吉田喜重。長身細身の美男紳士が登壇した。もし大学教授だったら、研究室前に女子学生が行列しても不思議でない、学究的雰囲気を漂わせていた。大声で強調することなどなく終始自制的な口調で、聴衆が理解しようがしまいが云うべきことは云うといった講演だった。むしろ講義である。
 映画監督の役割、映画の存在理由、フレームを切ることで世界を画面内と画面外とに二分することの意味合いについて語った。そうか、フレーム内で映画作品を形成するということは、余の世界をフレーム外に押出すもしくは切捨てることなのだな、と教わった。
 第二夜は石堂淑朗。聞きしにまさる巨漢こわもての登壇だ。低いがよく透る声で、ドスの利いた話しぶりだった。
 大学卒業論文の題材はフランツ・カフカだったそうで、カフカ文学を引合いに「不条理」の意味合いについて語った。たんに無意味というのではない、無解決というのではない、合点がゆかぬというのではない。合点がゆくかゆかぬかも判別できぬままに放り出される、砂を噛むような不快な印象を創り出さねば、との説だった。「砂を噛むような」がキーワードで、いく度も繰返された。

 第三夜は田村孟。黒縁眼鏡に坊主頭の、いかにも気さくそうなオッチャンが登壇した。
 「さっき楽屋でさ、吉田と石堂はどんなこと喋ったのって、係の人に訊いたんだよね。吉田は芸術哲学の講義で、石堂は映画ってすげえんだぞって凄んで帰ったらしいねえ。しょうがねえんだなあ、そんなんじゃ」
 開口一番、会場はこれまで二夜とは異なる雰囲気に包まれた。客席には、むさ苦しいなりをして長髪で眉間に縦皺を寄せた映画青年も多く、そういう連中には侮蔑的苦笑で迎えられたかもしれぬが、会場全体はおおいに沸いた。撮影所での裏噺、人物の横顔披露など、自身の体験を交えて次つぎ繰出される逸話の数かずに、聴衆は爆笑の連続だった。
 なるほど、これが田村孟か。生意気にも私は、なにか得心がいった気がしていた。次つぎ公開される大島渚映画はどれも若者映画ファンの注目を浴びていたが、その論理性の骨格、譬喩性・象徴性の張り巡らせについては、脚本担当である田村孟の力によるところが大きいとは、映画ファンのあいだでは常識だった。しかしメディアへの露出の少ない人で、私はその夜、田村孟その人の姿を初めて肉眼で視たのだった。

 『田村孟 人とシナリオ』には『白昼の通り魔』『瀬戸内少年野球団』その他のシナリオが収載されてある。シナリオ以外のエッセイ類も、また田村を語った知友の文章も集めてある。田村を追悼する大島渚の巻頭言もある。興味ある向きには欠かせぬ一書だ。

           田村孟(左)と萩元晴彦

 アートシアター新宿文化という映画館の地下に、「蠍座(さそりざ)」という小劇場があった時期がある。映画館脇の路を末広亭の方向へ歩き始めてすぐの左手には居酒屋「鼎(かなえ)」があって、業界人や芸術関係者や卵たちの溜り場のようになっていたが、その「鼎」の看板の手前に降り階段が口を開けていて、降りた先が「蠍座」だった。
 蠍座を会場にして、テレビセミナーのシリーズが催されたことがあった。当時大人気の NHKドラマ「文五捕物絵図」の演出家和田勉や民放ドラマ「七人の刑事」の演出家今野勉の講義など、そこで聴いた。ドラマだけでなくドキュメンタリーを題材とする日もあって、私は初めて萩元晴彦の噺を聴いたのだった。内容は、後に今野勉・村木良彦との共著『お前はただの現在にぎない テレビにはなにが可能か』ほかで繰返された「テレビ同時性論」だった。

 画面寸法・音量音質・予算、なにを比較しても、テレビ番組が映画に太刀打ちできるはずがない。しかしテレビは、茶の間へ現在を送り届ける即時性を持っている。その点にジャンル特性を強調する説だった。たとえば八月一日に放送予定の番組の企画会議が二月一日に開かれたとする。企画の眼目は、今日二月一日になにを主張するかではない。八月一日に我らはなにを主張したくなっているだろうか。また我らがなにを主張せねばならぬ世の中になっているだろうか。「先取り」「先読み」などの語がキーワードとしていく度も繰返された。
 なるほど、業界人として番組を創ることは、個人レベルでの創作だの表現だのとは異なるのだなと教わった。TBS を舞台に活動していた萩元・今野・村木氏たちが、放送局から番組制作だけを請負う、日本で最初の番組制作専門会社テレビマンユニオンを立上げたのは、はて、そのいく年後だったか。

 すいぶん時が経った。視聴者は自分の生活サイクルに合せて、番組録画を視聴するのが当り前になった。ラジオ番組でもパーソナリティーが「一週間の聴き逃し無料サービス」でお聴きくださいと、番組中にかならず云い添えている。視聴覚媒体は一回性でも同時性でもなくなった。
 テレビの一回性・同時性は、昭和の幻想だったのだろうか。松竹ヌーヴェルヴァーグは、昭和の幻想だったのだろうか。私自身のあっちへフラフラこっちへフラフラのよろけ過程を思い出しながら、考え直してみたい気が起きかけるが、もはやその時間は残されてはあるまい。
 『田村孟 人とシナリオ』『萩元晴彦著作集』を古書肆に出す。