一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

大枠の見当



 柄にもなく、分不相応に巨きなことを考えた時期があった。

 『悲劇の死』が日本の文学や芸術に及ぼした影響は小さくなかったと思う。一九七〇年ころだったとの記憶なのだが、ジョージ・スタイナーというのが重要かつ面白いのだと、原文で読解できる気鋭の論客たちが云い始めた。私は山崎正和山口昌男の文章によって知ったと思う。
 フランス育ちのユダヤ人で、ナチスによる迫害を逃れてアメリカへ亡命した人だという。学位はオックスフォードで取ったらしい。大学に勤めてはいるけれども、学者というよりは文筆家だそうだ。『悲劇の死』の日本語訳はまだ刊行されてなかった。なん年か後に翻訳刊行されたのを読んで、なるほどと思った。山崎正和の文章に要約紹介されていたとおりの意味合いの一書だと思えた。

 造物主の観念から逃れることで(つまり神を殺すことで)ヒトは人間になった。個人の自由を獲得した。同時に、なにものからも護られてない素裸の自我に直面せざるをえなくなった。森羅万象を喜怒哀楽にてとり捌く手立てを獲得したものの、悲劇は死んだ(殺した)。いかなる事象もすべからく喜怒哀楽の結果であって、宇宙摂理(神、運命など)と人間存在との軋轢でも矛盾でもありえなくなった。人間は神の意思によって生き死にすることなどできず、人間同士が織りなす喜怒哀楽の交錯でのみ生き死にすることとなった。
 もはやソフォクレスにもシェイクスピアにも出番はない。個人を観察描写する月並で小規模な悲喜劇があるばかりだ。

 ニーチェだのキルケゴールだのを自力で読み取れる読者にとっては、今さらの立論だったかもしれない。だが凄んで見せることも力瘤を入れることもなしに、平明に語って聞かせるジョージ・スタイナーの文才を待って、ようやく我らボンクラにも事態の輪郭が見えるようになってきたのだった。
 のちにルネサンス史を辿る機会がやって来ても、根柢にはこの図式があった。近代小説の定義を模索しても、この図式に突き当った。後年「ドストエフスキー的主題」なんぞと定式化される問題は、まさにこの図式そのものだった。モーパッサンチェーホフも、それどころか夏目漱石だって島崎藤村だって、同一座標のなかに位置を占めていると見えてきた。
 凄い評論家もあったもんだ。これでもオックスフォードの大教授ではなく、むしろ現場に近い文筆家だというのだろうか。そのときは舌を巻いたもんだ。しかし後年プラトンを入口にヘロドトスへ、ツキディデスへと彷徨う時期に、本物のオックスフォード古典学者というものがいかなるものかをつぶさに感じる機会が巡り来て、なるほどスタイナーは我らに身近な世俗的学者、兼文筆家だったのだと思い知らされた。

 歴史はけっして一本調子には進まない。振り子運動のように動と反動とを繰返しながら、ジグザグに進む。過剰な浪漫主義のさなかにはかならず古典主義的なチェックが入る。現代芸術だの二十世紀思想だのと称ばれる前衛志向の一部には、神を殺したまま歩んできた(つもりでいる)近代的美意識に対する、前近代からの揺り戻しと位置付けられそうな衝動が、たしかに含まれてある。
 不条理、虚無、ポストモダン、反言語の言語、イデオロギー時代の終焉、その他あっちからもこっちからも突出される槍の穂先には、どれも提言者なりの切実さがきらめいてあるのはむろんだが、冷静に眺めてみれば、先へ進めではなく元に戻れの合図と受取れるものもないではない。そっくり戻るのではなく、ジグザグに進む、または螺旋状に登る意図だとは承知だけれども。

 いま私たちは、どのあたりにいるのだろうか。それを考えるに第一歩を授けてくれたのが、私の場合はジョージ・スタイナーだった。恩ある碩学だ。が、私はもはや巨きな視野では考えられない。それに自分の座標を確かめられなくても、さほど不安ではない。
 ジョージ・スタイナー初期代表作三点を、古書肆に出す。