一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

春弘法の



 年間をとおして、花が咲くか草木が色づくか、境内になにかしら色彩の観どころのない日は一日もないのが、金剛院さまの特色であり、境内の植栽いっさいを任されておられる秋村造園さんのお骨折りだ。毎年先頭を切って春到来を告げるのは、庫裏のお玄関脇の枝垂れ梅である。境内に樹木多しとはいえ、この時期にご参詣のどなたもが、まずレンズを向けずにはいられぬのはこの樹である。
 今年はいかがかとお詣りに伺ってみると、数日前の雪冷えなどなかったかのように、花を着けていた。近所に国際級の宿泊施設もないのに、外国人の中年婦人が散策中で、スマホ撮影をしておられた。今でしたらこの位置からこの角度がベストポジションですよ、午後になったらそちらですと、教えてさしあげたい気が起きかけたが、しょせんは年寄りの滑稽なでしゃばりだ。自重した。


 大師の道端は菜の花である。逆光でワンカット。
 銅像は阿波・土佐・伊予・讃岐の四本石柱に囲まれ、一周すると、ミニミニ四国一巡のご利益があるとされてある。それぞれの石柱前の地面には磨かれた平石が埋め込まれて、詣るものの立ち位置が定められてある。
 そこに立って光明真言を唱えていると、外国婦人は奇妙な光景を眼にしたと思われたか、気圧されたかのように立ち停まり、一瞬カメラを背に隠した。気に留めることでもないので、いつものごとく四所を唱え周っていると、彼女は密かに私の姿をワンカット撮られたようだった。
 どうぞご随意に。なんなら八十八番札所巡りのご説明をいたしましょうか。本場四国には及びもつきませぬが、東京にも御府内八十八か所巡礼の霊場がございましてね、当金剛院さまはその第七十六番札所となっております。それそこの大師堂がさようです。お詣りののち庫裏へ回ってくだされば、御朱印がいただけますよ。

 一昨日が母の命日だった。東京にしては豪雪の翌日で、足元が悪いわ寒いわで、墓詣りには尻込みした。で、遅ればせながら今朝の参詣となった。
 昨年は母の十七回忌だった。列席者一名のささやかな法事をした。父の十七回忌は来年だから、今年は谷間の年だ。とくに法事はしない。墓石背後の塔婆立てから昨年供えた塔婆を引抜いて、墓前に立ててみる。一年前の写真と較べてみれば、塔婆板というもんは、丸一年でこれくらい変色するという見本である。