一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

気持のぜいたく



 予想外のせいたく気分を味わった。

 墓詣りの帰途、喫茶店に立寄った。よくあることだ。が、今日は起きぬけに朝食抜きで、家を飛出してきた。時あたかも正午過ぎ。周囲がどことなく昼食の雰囲気だ。空腹でもある。いつもの珈琲に加えて、チーズバーガーを注文してみた。
 「チーズバーガーでしたら、ただ今の時間ランチサービスでポテトが付いて、660円のセットをお出しできますけど」
 「要りません」
 という短い遣り取りが、女性店員さんとのあいだにあった。見栄を張ったわけでも、我慢したわけでもない。じゃが芋は申すに及ばぬ大好物ではあるが、その時には、指先を油にしてまでフライドポテトを食べたくはない気分だった。「では普通でよろしいですね」「はい」というオーダーが通った。

 千円札からの釣銭を受取り、珈琲とバーガーのトレーを手にして席に着いてから、釣銭を小銭入れに収めながらレシートを眺めた。珈琲が280円、バーガーが440円。ポテトを辞退すると60円高くなる。この割引設定って、オカシクネーカ? と一瞬思った。
 が、思いなおした。店側には、この時間帯に想定している客層と商品構成とがあるのだろう。仕入れも仕込みも、その想定をもとに動いているのだろう。私は想定外の注文者だったにちがいない。だったら余計な手間か気遣いかを強いてしまった当方の代金負担が、多くなってもしかたあるまい。
 客の多数部分を想定して店側で用意してくれたサービス形態を拒否して、あえて少数部分のオーダーを貫いたことにかかったコストだと、思えぬでもない。商いとはそうしたものだ。つまりは我を通して額面上の割高に甘んじたということになろうか。気持のぜいたく料と考えておこう。


  チーズバーガーの後も間食で腹を黙らせてしまっていたので、日に一度のチャント飯は夜更けとなり、洗いものを済ませたころには「ラジオ深夜便」が始まっていた。番組進行予定によると、明け方には小澤俊夫の噺が聴けるそうだ。グリム童話と昔話の研究家で、文学から民俗学までの広い分野に影響を与え続けてきた巨大な学者だ。指揮者小澤征爾の兄である。いっそこのまま起きていようかとの気分になった。
 明日の飲料水となるアイスティーを皮切りに、カボチャを炊いた。カレーを仕立てた。眼をつぶってでもできそうな定常の惣菜で、向上心はまったくない。いつもの無難な味となれば文句はない。日付けの変るころに始めた炊事が、午前四時近くまでかかった。

 川口青果店にて、一袋二本入り150円の人参を一本使う。一袋十一個入り150円の小型じゃが芋を六個使う。一袋四個入り150円の小型玉ねぎを丸ごと一個使う。半カットで200円のカボチャを全部使う。〆めて材料費388円。ほかに生姜と出汁の素と、砂糖と醤油と料理酒とマーガリンを使う。野菜の油通しには、天ぷら鍋の残り油を使い、あとはガス代だ。まず三日は食べられる惣菜が、それでできる。
 そう考えると、チーズバーガーに関しては、ずいぶん精神的なぜいたくをさせてもらった勘定になる。まことにけっこうな精進落しだった。