一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

これだって春



 老朽化してるのは、建屋だけではない。

 門柱の陰に、ガスや水道の元栓を操作する装置が埋設されてある。周囲には駐輪スペースのコンクリートが打たれてある。コンクリートは経年劣化している。しかも昭和三十三年にこの地へ引越してきて以来、一度の増築工事があり、数度の部分改修があったから、そのつど掘り返されたり継ぎ足されたり、いく度かの補修を経て、新旧まだらのコンクリートである。ひび割れが目立つ。
 塀の土台との角には疵だか割れ目だか判別しがたい溝が走っている。砂ぼこりが吹寄せられ、ミクロの土壌が形成されたりもする。小さな植物が芽吹いて来る。ひび割れがコンクリートの厚みを貫いて、地中の水分養分にまで通じている箇所もあるらしく、私の眼にも植物と判る連中が葉を伸ばしたり、小さな花を着けたりすることすらある。


 さぞや必死だろうが、当方にも事情がある。先方の命の営みを尊重してばかりいたのでは、年月のあいだにはひび割れがいっそう進行して、地盤沈下にもつながりかねない。早晩引抜かせてもらうことになる。


 隙間稼業。ふと思い浮んだ言葉だ。目立たぬ処にいつの間にかいたから、お眼こぼしにあづかってきた。人さまのお邪魔にもならぬから、黙認されてきた。ちゃっかり居座ってきた。しぶとく居続けた。仕事だってけっこうした。しかし花を咲かせないから、評価なんかされたことはなかったけれども。
 仲間には売れっ子もいた。有名人もいた。よくもまあお付合いくださったものだ。こっちでは仲間と思っていても、先方からは金魚の糞のごとくに思われていたのかもしれない。いや、きっとそうだ。
 奉仕的な仕事はずいぶん引受けた。無署名のゴースト仕事も右から左へと、注文どおりに片づけてきた。重宝がられた。こんなことができるのはお前くらいだと、歯の浮くような世辞を云われた。云われるだけで、感謝はされなかった。ギャラはいつも格安だった。

 もっと大人になれと諭される。当っているだろう。賢く目立つ知恵が欠けていると指摘される。そうかもしれない。自分を人前へと押出さなきゃ駄目だと忠告される。さぁそれはどうだか。お前は運が悪いと同情される。違う。そればかりは断じて違う。
 憐れまれたり嘲笑されたりするのは、身の不徳がいたすところで、しかたがない。けれども自分が運に恵まれなかった男だとは、一度たりとも思ったことがない。むしろ幸運な男だ。
 ありがたいご忠告をくださるかたがたは、ほんとうにご覧くださってるのだろうか。隙間にだって、春は来る。