一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

葉牡丹



 ようやく少し解ってきたと思えるころ人生はすでに終盤戦で、今から挑戦するには気力体力ともに足りないという意味のことを、偉い人の随筆や回想録でいく度も読んだ記憶がある。「青年老いやすく学なりがたし」との忠言も、同じ意味なのだろうか。

 寒さに尻込みして、このところ近隣散歩も怠りがちの私にとって、わが町の北に隣接する隣町へと歩く機会は、さほど多くない。駅も買物先も、金剛院さまも神社も、おおむね南方向にあるからだ。じつは北方向へも歩くのだが、ほとんどは銭湯へ赴く場合だから、陽暮れて後のことで、風景が見えないのだ。せいぜいが月に一度ていど、散髪屋さんへと赴くときが、北接する町並みを眺める機会だ。
 途中フラワー公園の前を通る。往来に面して花壇がある。奥には草花と灌木の植込みがあり、果樹のなる柑橘樹や、ケヤキの巨木などもある。現役を退いた地下鉄車輛が二輛、子どもたちの遊び場となっている。公衆便所もある。

 名称どおり、花壇にも植込みにも四季をとおして花色の絶えぬように、ぬかりなく手入れもしくは植替えがほどこされてある。
 とはいえ冬のあいだとなれば、植込みの木の下陰でいく株かがいく輪かの花を見せるていどがせいぜいで、長い花壇一杯に同種の草花を行列させるのはむずかしかろう。個体の傷みや萎れが避けられずに、花壇に穴が開いてしまいかねない。そこで毎年登板するのが葉牡丹だ。花ではないが、葉の色にも柄にも、なまじの花よりは色の濃さも鮮やかさもあり、しかも丈夫だ。むろんこの冬も、独壇場の大活躍だった。


 周囲には、春の花や花木が活躍し始めている。葉牡丹の出番は、もうすぐ終りを告げる。
 しかし、と思わずにはいられない。彼らの先祖であるキャベツと似た姿で地表にうずくまっていたのは、季節が冬だったからだ。植物としての葉牡丹は、春を迎えてこれから丈を伸長させ、宙に向けてなん段重ねにも葉を大きくして、たくましくなってゆくのだ。生命活動のほんとうの見せ場はこれからだろう。が、その時期もその姿も、人間にとってはお呼びでない。

 幼き日は花壇に行列させられ、やがて少数ながら次代のために畑植えされる者もあれば、奇特な趣味家に引取られる者もあろう。だが多くは家畜の飼料となるか、さもなければ見捨てられ、処分されてしまう運命なのではあるまいか。右も左も覚えぬうちは可愛いだの貴重だのとちやほやされ、いざ成長期を迎えるや、あとは自力でどうぞと見捨てられ、放り出されてしまうアイドル芸能人さながらではないか。

 歳時記では、冬の季語とされてある。
   葉牡丹にうすき日さして来ては消え  久保田万太郎