一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

平常に復する



 ひじきカレー 古優名優そろひ踏み 定連納豆出る幕ぞなき

 日限を切られた仕事が済んで、さて外出か散歩かという日があいにくの空模様で、しかも風が冷たい。草むしりもならず屋内にて過すとなれば、いたしかたもない。台所である。
 保存限界に近いじゃが芋を使い切ってしまうには、煮物かカレーだ。人参と竹輪の残量を視定める。いかなる配分にてふた山に分け、ふた鍋調理できっちり使い切ろうかとの算段である。
 数日前に、大豆と人参と竹輪とを合せて、ひじきを炊いた。四日分の惣菜との名目だったが、懸念どおり丸三日とは保たなかった。で、もう一度炊き直そうとの目論見である。カレーとひじき。人参の振分けが要諦となるわけだ。

 つねのごとく「ラジオ深夜便」を聴きながら、夜明けまでにふた鍋を仕上げた。冷ましながら、洗いものを済ませ、珈琲を一杯。夜型人間にとっての就寝時間近くだから、神経を平常に復するためには、必要な一杯である。ところが心地よい疲労は感じるものの、睡魔が訪れる気配がない。まずい。うかうかしていると、ラジオ体操が始まってしまう。
 ラジオ体操自体は好きなのだが、NHK の今の「ラジオ体操」番組に、少々ついて行けぬものを感じている。健全・健康・幸福についての牢固たる固定観念が露骨で、なにやら押しつけがましい感じがしてならないのだ。こういうもんじゃなかったはずだがと、思われてならない。

 その昔、空襲で焼け野原になった町で、打ちひしがれて意気消沈している町内に「皆さんご一緒に、ラジオ体操いたしましょうよ」と説いて回った婦人があった。むろん嘲笑された。が、彼女はめげなかった。辛抱強くなんか月も足を棒にして説き歩いた。一人二人と賛同者が現れ、隣町にも、その隣の町にも、ラジオ体操の輪が拡がってゆき、その地域一帯の復興に向けて、町民の心をひとつに束ねる力となった、という逸話だ。
 実話をもとにしたドラマ化ということで、たしか田中裕子さんが主演なさったはずだ。
 東日本大震災の直後、避難所生活を余儀なくされたかたがたにラジオ体操をお奨めしてはいかがでしょうと、ツイッターフェイスブックとに投稿してみた。どこからもどなたからも、反応はなかった。知友からも怪訝な顔をされた。1945年と2011年とでは、人心が同様ではなかったのだろうか。

 しかし、とも思う。ラジオ体操も、変ってしまっていたのではないだろうか。素朴であれば共通性・普遍性を持ちうる。限定的であれば、共感の幅をも限定してしまう。『アンナ・カレーニナ』冒頭の「幸せな家庭はどこも似たように幸せだが、不幸な家庭は一軒いっけん別様に不幸だ」というトルストイの云い分は、どう考えたってそのとおりだ。
 ラジオ体操が始まる前に、寝てしまおう。予定外ではあったが、熱燗一合つけることにした。
 

 というのが昨夜から今朝のことだった。起床後のチャント飯において、本日は惣菜過多だった。わが常備食のうちの、納豆の出番がなかったのである。
 そしてまた深夜、一日一食半を標榜する私にとっては、テキトー飯の時間だ。玉ねぎのみを使った力そばとした。この冬、どれだけ食ったか判らないというほど、昨今の気に入り食である。
 世間的には健康的でないタイムスケジュールかもしれぬが、私にとっては暮しが平常に復しつつある兆しといえる。これで空模様さえ回復してくれれば。