一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

妄想の湧出口



 私的な書き癖に過ぎないけれども、「凝視する・視詰める」という語を、「視る・観る・看る」とはかなり異なる行為と捉え、用いている。ましてや「見える」とはかなり異なっている。

 わが町のサミットストアの壁面の高い処に掲げられたロゴ看板だ。あちこちから眺めあげてみて、ベストポイントを確定しえた。どこかは秘密だ。サミットストアの応援団ではないのだけれども、出来のよろしいデザインと感じている。
 植物が芽吹き、双葉を出したところだろう。食糧生産を連想させ、子どもの成長をも連想させて、店のコンセプトに合致する。さらに二本の筋に区切られた三層線による図形は、ベタの太帯で描かれるよりも、軽く朗らかな表現となっている。
 眺める者にしてみれば、植物と認識するとほぼ同時に、吸水とか蒸散とか、光合成とか呼吸とかを連想する。物体としての植物であるほかに、水と空気の流動経路としても双葉を感じる。活発で軽やかな運動性が、すなわち生命力への高らかな称賛が、二本の筋によって確保されてある。

 しかしと、凝視者は考える。ほんとうに植物の双葉を表現したデザインなのだろうか。螺旋状に昇り降りする立体交差道路ではないだろうか。左右両翼の直角は高速道路らしくないが、デザイン処理というものだろう。いや世界のどこかには、こういうキックバック構造も実在するのかもしれない。月並な経路では引合せることができぬ、いわば高低差のある生産者と消費者とを、技術をもって直結させられるとのコンセプトではないのだろうか。
 しかしと、またも凝視者は考える。輸入品通販商品としては驚くほど高価な、伝統意匠のヴェネチア仮面に、こんなのがあった。華麗で洒落た仮面の奥から、サミットの眼がわが町と住民とをしっかりと視ていますとのコンセプトではないのだろうか。
 それよりなにより『スターウォーズ』でダースヴェイダーの手下として、次つぎ湧いて出ては斃されてゆく兵卒たちは、こんな顔をしていたのではなかったか。
 考え込むほどに、このデザインの元アイデアは人の顔だとしか、思えなくなってきてしまう。妄想による変形が生じたわけだ。


 跨線型駅舎に改良された今の駅にあっては、発券機も改札口も高い処にある。自動改札機を通った処は小さな広場となっていて、トイレ入口だのホームへの降りエレベーターの乗り口などが設けられてある。上り線下り線左右双方のホームへの降り階段も口を空けている。
 突当り中央には大窓が切ってあって、駅の西側一帯が一望に眺め渡せる。真下を線路が走っているから、通過電車も停車電車も一輛もれなく、パンタグラフをはじめ屋根の構造すべてを見せながら、過ぎて行く。線路が直進している区域だから、遥か遠くに隣駅まで視とおすことができる。

 この大窓からの眺めが好きだ。駅からほどなくの公園には、ケヤキの巨木が数株あって、地上から眺めあげただけでは十分には了解できぬ枝ぶりが、ここからは一目瞭然だからだ。駅構内へと入場する機会の多くない私は、鉄道を利用するたまの外出のさいには、電車到着までの時間をここに立って過す。
 以前は樹形全貌がもっと見えた。周辺の商業ビルや集合住宅に遮られて、だいぶ隠されるようになった。
 景観を凝視するうちに、想いが湧く。集合住宅や多目的ビルのひとつひとつの窓の向うには、それぞれ別のかたがたがおいでなのだろう。あの窓から、こちら駅方向を毎日のように眺めておられるのだろう。なにごとかを考えながら。建物各棟が人の顔のようだ。一度そのことに思い当ってしまうと、いく重にも重なって見えている建造物たちが、折り重なりひしめき合う顔、顔、顔にしか見えなくなってしまう。


 筋向うの音澤さん邸の新築工事現場では、寸法取りが済み、基礎工事のコンクリート流し込みまで進んだ。買物に出て現場前を通るたびに、現代の工法は速いものだと感心させられる。
 だが素人考えでは、ここで暫時小休止模様となるはずである。工事が中断するわけではなくて、コンクリートが乾燥せぬうちに次の段階へと急ぐと、先へ行ってから乾燥不足の弊害が出かねないからだ。基礎工事の段階と、和室の壁の左官仕上げの段階とに、乾燥待ちの日程があった記憶がある。半世紀も前の拙宅大改築のころの記憶である。あやふやな記憶だし、工法の進歩もあろうから、当てにはならぬけれども。

 現場前に立停まって感心するに留まらず、感慨に襲われてシャッターを切ることもある。音澤さんご家族が、どちらに仮住まいなされているものか存じあげないが、ご当主のお人柄から推して、工事の進捗状況を逐一観察に見えておられるとは考えられない。おそらくはご当主よりも私のほうが、刻々の進捗に注目しているのではあるまいか。
 私にとって初めて視る風景がある。しかもご新邸が落成してしまってからでは、部外者の眼からは二度と視ることができなくなってしまう風景だ。
 そうか、音澤さんのお宅からは、拙宅がこんなふうに見えていたのか。