一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

彼岸入り



 弘法のゆく手はわかりやすき春

 ばち当りなことに、彼岸詣りはえてして遅れがちになる。中日を過ぎてしまった年もある。心あるご子孫を擁するお家の墓所はどちらも掃除が済み、花が供えられてある。墓守が存命の檀家うちでは、私が最後ではないかと思わせられる年もある。
 心を入換えて、彼岸入り初日に詣でてみようかという気を起した。となれば、就寝してはならない。徹夜の勢いを借りて、朝から行動しなければならない。帰宅してからふつかぶん眠ればいい。

 とはいえ早朝からは動けない。百貨店が開いてないからだ。供物を前日のうちに用意することを好まない。理由はない。いつの間にか形成された無用のこだわりである。
 春秋の彼岸は和菓子を用意することにしている。盆暮れや施餓鬼には、社会通念に背いて、保存食でも水菓子でもいいから季節のものを考えている。
 通念どおりに、年中和菓子を供えた時代もあった。しかしある年、お寺さんの娘というゼミ学生から、お供え物の時期には連日必死で甘いものを食べ続け、とんでもなく太るのだと聴かされて、考えを改めた。生ぐさだろうが破戒だろうがかまわない。庫裏でお役に立つものがよろしいのだ。如来菩薩には好き嫌いなどなかろう。
 かといって一年をとおして通念破りともゆくまいから、春秋彼岸だけは和菓子という型を残したのだった。

 ポスターや看板を眺めながら、池袋駅構内をぶらぶらして、開店と同時に百貨店へと踏入った。贔屓の両口屋是清へ直行だ。名代の焼菓子と季節の菓子との詰合せを按配してもらう。包装が簡素化され、手提げ型紙袋が有料になっていた。私には関係ないが、配送料も値上げされたようだ。
 女店員さんも、初めて視る顔だった。ご時世だろうか、てきぱきと有能そうだが笑顔の少ない娘さんだ。皆まで云わずとも俺はいつもそうだ、が通用しないから、あれこれ細かくお願いしなければならなかった。余計な説明をいくつも受けた。「承知してますよ、あなたさまがお生れになるよりずっと前から、お宅さまで買物しておりますからね」と云ってやりたい気が起きかけたが、嫌味ジジイを演じるのも酔狂が過ぎると思い留まった。


 わが町へ戻れば、花長さんから金剛院さまへと、いつものコースだ。さすがは彼岸初日だけあって、境内にも霊園にも午前中から人影が多い。ご本堂も大師堂も、ご開帳である。庫裏の玄関廊下には、引きも切らぬ参詣人に対応すべく、若住職と若大黒に小学生くらいの若までが打ち揃って待機しておられた。
 霊園にもお子連れお孫連れのご一家が目立つ。ジジイ独りの彼岸詣りなどは、眺め渡した限りでは、どうやら私だけのようだ。長年のうちには、参詣友達みたいな視憶え顔もないではないが、こういう日にはお出ましではないらしい。私より年長とお視受けする顔が見えない。

 幼馴染のご婦人と久かたぶりに再会した。お子さんお孫さんがたと、賑やかなお詣りだ。むろん姓が替っている。ご実家のご墓所も嫁ぎ先のご墓所もこの霊園内にある。ご実家のかたがたは私も存じているから、亡きご両親の墓前には日ごろから掌を合せてきているが、ご挨拶かたがたご一族の近況をお訊ねしてみると、昨年弟さんが他界されたという。私より二歳年少の遊び友達だった男だ。知らなかった。ご墓所墓誌石板にはまだ刻まれてなかったので、気づかなかったのだった。

 幼馴染だろうが学友だろうが、かつての飲み友達だろうが、久しぶりの顔と再会すると、かならずどなたかの訃報を知らされる。で、ついつい日記に書き留めることになる。お読みくださった若い友人が指摘してくださる。最近死ぬことや死んだ人のことをよく書きますねと。精神衛生上よろしくないのではと、ご忠告くださる。
 たしかに悲しくも寂しくもある。が、うろたえたり放心のあまり言葉を喪ったりはしない。年寄りにとって、死そのものは、耳を塞ぎたくなる種類のことではない。ただ痛いだの苦しいだのが怖い。知友にご迷惑をおかけするのが心苦しく、恥かしく、面目ない。より少ないご迷惑しかおかけせずに、痛くも苦しくもないのであれば、じつのところ死をそれほど怖れてはいない。
 お若いかたにはなかなかお解りいただけぬ感覚だろう。私もかつては理解できなかった。つまり伝わらないのが当り前の、老人感性にちがいない。