一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

猛暑盂蘭盆


 大葉の陰で花準備。
 金剛院さまの境内には蓮池がある。実際の池ではない。大人三人が両腕を伸ばして囲うほどの大岩に、ぽっかり穿たれた穴だ。巨大な蹲踞(つくばい)といってもいい。

 十年ほど前までは、水草の棲息池だった。蛙の産卵池でもあったらしく、春にはオタマジャクシが過密状態でうようよ動き回った。まだもうしばらくはと油断していると、翌週参詣してみたらいっせいに姿を消していたなどということもあった。
 庫裡のお玄関脇の水場で、桶に水を頂戴するさい、念のためやや多めにいただく。柄杓に三杯か四杯で済みそうなところを、五杯は汲む。
 拙宅墓の左右花立ては干上っているか、さもなければ残り水にアオミドロが発生しているかだから、内部を洗って、新たに水を差し、花を立てる。水差しも満タンにする。墓石に水をかけ、周囲にも水を打つ。
 向う三軒両隣のご墓所前にも撒き水して浄める。生前わが父母と懇意にしていただいたかたのご墓所にもお詣りして、ご墓所前を浄める。そちらでもどうか、父母と仲良くしていただきたい。
 無縁仏の合祀観音像前の水差しにも水を供える。後継者なき私は、いつかはお世話になるのである。
 桶の水はだいぶ減るが、わずかに残る。それを例の石池にザッと空けるのが常だった。外から水流を引入れたり、他へ流れ出たりすることのないたまり水だから、ミクロの酸素補給にでもなればと、考えてのことだ。
 「来年も元気なオタマがいっぱい湧きますように」が呪文の言葉だった。

 ある年から、オタマジャクシは湧かなくなった。石池の内側はきれいに磨かれ、蓮池となった。ご住職のお考えだろう。境内万端のお世話をなさる秋村造園さんのお骨折りだろう。茎の太い丈夫そうな蓮が人の背丈ほども伸び、人間の日傘にだってなりそうな大きな葉を繁らせている。
 さしたる関心も抱かず前を過ぎるだけの人間には、花の準備は見えない。足を停めて、横から覗き込まなければ。さらには失敬して、大葉をちょいとめくって、背後を観察しなければ。
 あと数日で開花するのだろうか。二日三日のあいだは咲いては閉じるというが、はたして遇えるかどうか。うかうか油断すれば、花どきは過ぎてしまう。

 わが家族がこの町に引越してきて、来年がようやく七十年目にあたる。新参の田舎者である。金剛院さまに願い出て、毎年七月の盂蘭盆会はご遠慮いたし、拙宅勝手に旧盆とさせていただいてきた。
 ご本尊への供物を調達に池袋まで出ねばならぬが、駅までのおよそ六百歩の道のりでさえ、うんざりするほど暑い。とはいえ秋だ。夏の供物では拙かろう。今年も銀座鈴屋の厄介になるか。秋の菓子について考えあぐねた場合には、ナントカのひとつ憶えで、栗を用いた菓子である。
 秋彼岸もやって来るではないかと云われそうだが、彼岸からの連想は茶である。茶席に似合う餡を用いた菓子が望ましい。栗とは違う。

 花長さんはテント簾を地面まで降して、お店をそっくり直射日光から避けるようにしておられた。当然だ。こんな日に花の棚を往来から見えるようにしていたのでは、花が保つまい。
 そんなにまでしても花束に仕立てて棚差しされていた花には早くも傷みが来ていたものか、おかみさんには不服だったらしく、ストッカー(花専用のガラス冷蔵庫)から選り出した花で新たな束を仕立ててくださった。母が好きだった濃い紫がふんだんにあしらわれた花束に、私は気を好くした。今日もごく微細ながら好いことがひとつあった。こういう日はスゴ~ク好い、という気がわけもなく湧いた。

 あとは通常の墓詣りだ。正午近い。少しでも陽射しの柔らかい午前中に、すべて済まそうと念じていたのに、やはり段取り悪くもたついて、真上からの陽光を浴びる破目となってしまった。気分がよろしくない。老人の熱中症は命取りとも聴く。墓前からは、さっさと引揚げることにした。盆である。両親だとて、一時帰宅するつもりなら、こんな所で今ごろモタモタしてはおるまい。
 さっさと引揚げだと急いでいたところだったのに、そうだ、もしや蓮池にはツボミでも揚っていやしまいかと、つい立ち停まってしまった、とまあかような順序だった。

 スーパーで買足しの二三もして、急いで帰宅して冷水シャワーを浴びて、素麺でも茹でようかと算段していたのだ。が、これ以上歩くと、本当に気分が悪くなりそうだ。やむなく猛暑と直射日光からの一時避難でロッテリアへ。朝食抜きで騒ぎ出してきたから、空腹を感じてもいる。エネルギー切れだ。
 どんなもんだい、チーズバーガーだぜ。私にしては豪華な、贅沢精進落しである。