一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

感謝・反省・その他



 取柄は持続、にはちがいない。けれども内実は……。

 知友への無沙汰陳謝、独居老人を気遣ってくださるかたへの生存報告、そしてごく稀なご縁を多としてくださる少数の読者さまに向けての発信。当日記の眼目と申せば、そのていどしかない。ごくごく限られた範囲での活動に過ぎない。インターネット空間を活用しての活動なんぞとは、云うも気恥かしい営みだ。
 登録者数も伸びてはゆかない。アクセス数がわずかづつ着実に伸びてゆくのは、固定読者さまが何百日もクリックしてくださってるからである。
 と信じ、感謝の念を抱いてきた。今もさようではあるのだが、別の側面も現に実在していることを、今さらながらに痛感させられるデータを突き付けられた。

 当「はてなブログ」に備わる多種多様な機能のほとんどを私は使いこなせず、実際使ったことはほとんどないまま今日に至っている。逆探知して読者構成を分析考察するなんぞは、思いも寄らぬことに属してきた。
 なんとも迂闊千万なはなしだが、「アクセス解析」画面の隅にある「アクセス先ページ」というバナーをクリックしてみたら、最近の(というのがいかなる期間を指すかは知らないが)Google 経由によるご来訪読者さまが、どの記事をクリックしてくださったかのランキングが明示されてある。


 第一位は「疾風のごとく」(2023/6/10)で、昨年現役引退した富士通レッドウェーブの篠崎澪さんの自伝的エッセイ集を紹介した記事だった。ちなみに篠崎さんと町田瑠唯さんというレッドウェーブの黄金コンビを扱った「ある時代」(2022/5/4)が第五位にランクされてある。いずれも女子バスケットボールの名選手に向けた、いわば公開ファンレターである。
 二十日近く前のある日、アクセス数が突然跳ね上った日があった。不思議に思って理由を探ってみたら、その時は「ある時代」のほうが第二位以下をブッチギリに引離した断トツ第一位だった。
 世間のどこかには、引退後丸一年にもなる名選手を取沙汰する人びとが多数あって、なにかの拍子に私の過去の日記情報が伝わって、多数ご来訪の運びとなったらしい。それにしても、わが日記ごときが他所で共有情報となる場面など想像もできない。
 Google 経由でご来訪という事実に着目して、「篠崎澪」と Google 検索してみると、先頭が Wikipedia で次が Wリ-グで、三番目が Instagram で四番目が Amazon。以下ベースボール・マガジン社(エッセイ集の版元)、NHK日本オリンピック委員会紀伊国屋書店と来て、ななっ、なんと九番目に「一朴洞日記」とあるではないか。公式オフィシャルのプロフィール情報と本の販促とを除いて、個人による言及を探そうとすれば、嫌でもわが日記へ逢着してしまうのである。そしてアクセス数いく十万のブログとは違って、わが日記にあっては数十人からのアクセスでも、グラフ上の目覚ましい変動として表れてしまう。多数ということに免疫がないのだ。
 ただしご来訪くださって、この書き手はどんな奴だろうとの興味を抱かれて、前後の記事を覗いてご覧くださった読者がもしあったとすれば、全員が落胆されたろうことには疑いがない。


 ランキング第二位は「ぴよこチャンネル」(2023/4/25)だ。日韓友好ユーチューバーである。元アシアナ航空の客室乗務員で、日→韓、韓→日、双方の通訳資格者で、日本語検定一級保持者である。が、コメディエンヌの資質豊かで、あえてへりくだったキャラクター設定して巧みに日本人視聴者に迫り、二十一万人の登録者を誇っている。彼女の有能さと砕けかたについて、紹介した日記だった。
 篠崎澪さんの場合と同様に Google 検索してみたら、SNS 上での自己紹介と動画紹介が並んだあとの第八番目に、他者からの言及の先頭として「一朴洞日記」が出てきた。来訪された読者がその後落胆されたに相違ない点も、篠崎さんの場合と異なるまい。

 ランキング第三位がようやく「ブログトップ」である。すなわち昨日(最新)ブログを目指してご来訪の読者さまということだ。
 以上は Google 経由の読者に限ったはなしで、他にも「 X 」「Facebook」「はてなアンテナ」その他を経由したご来訪者があるわけだ。それにしても公開発信だのウェブ上での出逢いだのという問題について、改めて考えさせられた。
 いかなる話題を提供してアクセス数を伸ばすか、ユーチューブであれば再生数を稼ぐかについて、方針を研究することも可能ではあるだろう。が、私はそれを実践する気がない。

 どういう原稿なら買ってもらえるか、なにを取扱えば売れっ子となれるか。その道筋がある程度くっきり見えていた齢ごろもないではなかった。人間だれしも、人生に三回はチャンスが巡ってくると云われる。その好機到来を掴むかぼんやり視過すかが、成功するしないの分れ目だと云われる。こんな私にさえ、少なくとも二度は、今がその時かもしれぬと感じた局面があった。が、私は接岸された舟に乗らなかった。いずれも気に入らぬ舟だったからだ。おそらくはわがままであり、度胸不足であり、苦労知らずだったからだ。
 今さら成功してもしかたがない。人さまのお役に立ちそうもないことのみを書いてゆく。この方針を譲る気は、今のところない。