一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

開花宣言!


 昨日は東京の開花宣言だった。靖国神社の境内に、はたしていく株の桜樹が植えられてあるものか知らぬが、なかの一本が気象庁の試験樹と定められていて、その樹に五輪の開花が観られると、東京都に開花宣言が発せられるそうだ。今度その一本に会いに行ってみたいもんだ。
 例年よりも早めだった昨年よりも、さらに早いそうだ。この観測方法を定めて以来の最早記録だという。

 偶然だが拙宅でも、昨日は開花宣言だった。同じく例年より早めだ。昨年は三月十九日が拙宅開花宣言日で、同日の日記に上げた記憶がある。東京都の開花宣言とは数日食違うのが普通で、今年のような一致は珍しい。
 昨年はかなり高いところの、幹から枝が分れてすぐのあたりで、最初に開花した。うまいこと撮影できなかった。脚立を置いたり、ズームレンズを用意したりすれば、できぬこともなかったのだろうが、なんだかこだわり過ぎの感じもして、挑戦しなかった。
 なによりも老人が調子に乗って、慣れぬ冒険に手出ししてはならない。私には国民健康保険証と高齢者医療保険証と日大板橋病院の診察券があるのみで、身辺に家族も助手もないのだ。慎まなければいけない。

 今年は地上からせいぜい私の背丈の倍ていどの、低い枝に初花が着いてくれたので、背伸びしたり腕を一杯に伸ばしたり、角度を変えてみたりしながら、いくカットか抑えることができた。
 東西南北どちらへ回りこんでも、バックが眼障りだったり、逆光だったり、そちらからだと花が背を向けてしまっていたり、思うようにはゆかぬもんだ。なかでいくらかでも致命傷から遠いのは、背景処理の問題だろうから、お向うのマンションの手すりの色を、背景に利用させてもらった。
 靖国神社の仲間たちは、さぞ広びろした条件のもとで、撮影者にたいしても絶好のポジションを提供しているにちがいない。樹木ひと株ひと株にも生れ合せた星とか、身のほどとか分際とか、運不運とかがあるにちがいない。しょせんは「俺んち」だから、我慢してくれよなと、桜の肩を叩いておくしかあるまい。

 「子どもの記憶なんてアテにならんもんで、もっと桃色が濃かった気がしてたんですが、こうして観ると、桜の花ってのは、あんがい白いもんですねぇ」
 なん年くらい前だったか、庭師の親方と立噺したことがあった。
 「いや、実際そうでしょうよ。樹が齢とってきても、花の数はさほど減らないんですがね、色が薄くなってきましてねぇ」
 知らなかった。樹木も老化して、脂っけが抜けてくるのか。地中に肥料を足してやるとか、強く剪定して負担を軽くしてやるとか、さような小手先の対処ではいかんともしがたい問題らしい。
 寿命八十年だの、元気な観ごろ五十年だのとも云われる桜だ。私とどっちもどっちの老樹である。ここまでくると、はてどちらが先かという付合いになってきた。

 ご近所の白花たちはどうなってるだろうかと、少し歩いてみた。西へふたブロック行ったお宅のお庭の隅に、ヤマボウシがひと株いるのだが、まだ花の反応はない。いたって様子の麗しい樹なのではあるが。戻って東へふたブロック。マンション二棟の間の駐輪場の奥に、コブシがひと株。例年どおり見事な咲きっぷりだ。ほんの一週間ほど前に通ったときには、まだ一輪も咲いていなかったのに、一気にやって来た。

 ええぃついでだっ、という気になって、駅まで歩いてみる。途上に紅花の八重梅が見事なお宅と、やはり八重の濃厚な椿が塀越しに枝垂れているお宅があるのは承知している。が、紅花赤花を眺める気分の日ではなかったので、一瞥で軽く通り過ぎた。
 駅周辺に街路樹として植わっているハナミズキもまだだった。ヤマボウシはここでも、まったく素知らぬ顔で立っていた。
 あと百メートル歩いて金剛院さまの山門をくぐれば、いろいろ咲いているのは承知だが、やめておく。今週末か来週早々には、彼岸の墓詣りでゆっくりお訪ねしなければならない。そのときのために、保留しておく。