一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

お待ちどおさま



 お待ちどおの開花宣言、小松堂の開化煎餅。

 拙宅老桜樹、十輪ほどの開花を確認。例年より一週間ほど、昨年より二週間ほど遅い。まだ風が肌寒いなか、これ以上は待ちきれぬといった風情である。
 ここいく年かは、老樹にとって最後の花となるかも知れぬと覚悟しながら、この季節を過してきた。また一年、互いに生き残ったかとの想いがある。私自身の身の上もさることながら、敷地の半分を東京都に召上げられる日を、また一年、先延ばしにしたのだ。


 今年初めてアダンソンハエトリが、わがデスクに現れた。啓蟄を過ぎて、もう二十日にもなる。
 獲物捕獲の罠としてクモの巣を張る習性をもたぬ、ごく小型種のクモだ。その代りよく歩く。平時においては、私にも観察したり話しかけたりできるほどゆっくり歩いているが、いったん緩急あれば走っているのか跳んでいるものか、驚くべき速度で移動する。身長差をもって換算すると、人類のいかなるアスリートだって足元にも及ばない。バスケットボールのコートであれば、手前エンドラインから相手ゴール下まで、0,5 秒以内で移動できる。
 埃っぽい拙宅にあって小昆虫やダニ類を食糧にするらしいから、私にとっては益虫だ。日ごろからかりに眼が合うことがあっても、友好的に対応することにしている。先方の意向は知れないが、当方としては共存共栄を願っている。

 本日現れた個体はまだごく若く、胴なかの白模様も小さくて、はっきりしていない。成長すれば、幅広の白縞模様が明瞭となる。身の丈もまだ小さい。背景のサインペン・キャップやボールペン先端と較べてみれば、一目瞭然だ。
 もう少し背景処理の容易な場所へと移動したら、決定的瞬間を撮ってやろうと思っているうちに、さっさとどこか見えない場所へと姿を隠してしまった。成虫であればもっと余裕を見せて、当方の要望に応じるかのごとくに、しばらくは見えやすい場所をゆっくり歩いたりするのだが、若者はとかくせっかちでいけない。
 しかしとにもかくにも、新世代先頭ランナーの顔見世ではあった。


 桜のほうは、ぶっちぎりの先陣ランナーということはなく、陸続として後に続く花芽が準備されてある。もとより枝の数量といい花芽の密集度といい、往年の豪華さは予想しうべくもない。絢爛たる満開の図は、私の脳裡にのみ残ってゆくのだろう。
 初花を数えに往来へ出たのだから、このまま草むしり作業に移ろうかという気も、一瞬は頭をよぎったのだったが、やめにした。陽射しがよろしくとも、空気がまだ冷た過ぎる。