一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

反省なんぞ

小林秀雄(1902 - 1983)

 戦時下にあっての、大半の日本人の生活感情を回顧した小林秀雄に、「庶民は黙って時局に身を処した」という意味の言葉があった。含意は軽くないと観ていた私は、とある席で若者たちにこの言葉をお伝えした。ところが、である。
 「それって、ヤバくないですか? だってだれも戦争に反対しなかったってことでしょう?」
 「処する」と「服する」とを読み分けられない、たんなる国語力の問題ではあった。しかしそのときは、もう少し深刻な感想を抱いた。きっと私の言葉に貫目が足りなかったんだろう。私自身への信頼も、そうとう薄かったにちがいない。とにかく含意への言及は断念せざるをえなかった。
 若者たちの脳裡には、昭和の日本人が呆れるほど愚昧だったとの印象が残ってしまっただろうか。怪気炎は続く。
 「今は違いますよ。ネット環境があるし、国民はじかに情報を入手しますからね。権力者の意向で、そうやすやすと盲目にされることなんかありませんよ」

 本当だろうか。だとすれば喜ばしいが。私は情報社会という云いかたを疑っている。危惧を抱いてさえいる。たしかに情報収集機能は発達したのだろう。特殊な立場にない者でも能力手腕さえあれば、一次情報の収集が可能かもしれない。が、大半の庶民がその能力手腕を持合せているとは、どうしたって思えない。苦心惨憺して、いわば血を流して身に付けた能力手腕ではないからだ。天から降ってきたように与えられた能力手腕に過ぎないからだ。
 その程度の能力で己惚れているあいだに、どこかには血を流してでも情報操作しようと図る連中があって、着ちゃくと情報限定や情報盗取による統治戦略を押進めているのが現代なのだろう。いったん大事出来のさいには、庶民が手にする情報収集能力ごときでは役にも立たないのではあるまいか。

 学生時分に、児童文学については鳥越信教授にお教えを受けた。そのころメディア上で小さな論争があった。当時もっともメディア露出の多い教育評論家に、「カバゴン先生」の愛称で大人気の阿部進氏があった。あるとき阿部氏は「子どもたちは時代とともに確実に賢くなり、進歩している」説を唱えた。横断歩道のない往来を横切るにも、接近する車の速度と車までの距離とを一瞬で感知し、渡れるか危険かを判断できる、などと。
 鳥越教授がこれに噛みついた。そんなのは環境への適応能力問題に過ぎない。戦時中に勤労動員の工場で、流れ作業を効率好く進めるには、どれほどの間隔で立ち、作業台の高さはどれほどがよろしいか、少年たちは工夫体得したではないか。同世代の阿部氏ならご記憶だろうに。時代により環境により判断する様相が変化したことと、判断能力が増したか否かとは、まったく別問題である、と。
 様相の変化を進歩と視るか、適応・反応の相違と視るかの問題である。

 相似の問題が、電子機器による情報収集能力の問題にもありはすまいか。容易になったこと便利になったことで、われらが賢くなったと思い上るのは、たいへん危険だと思えてしかたがない。そんなもんで歯が立つ相手ではないわい、と思えてしまう。「黙って身を処した」の重みや凄みを、最大限に想像したほうがよろしいと考える。
 戦後になって、雑誌『近代文学』の連続企画に、敬愛する先輩を同人たちが取囲んでの長時間座談会シリーズがあった。『近代文学の軌跡』という本にまとめられてある。とある回では小林秀雄が招かれて、おおいに語った最後のほうで、同人の一人から訊ねられた。
 「戦時中を想い返して、今の心境から反省する点が、なにかありますか?」
 間髪を入れずに、小林秀雄の返答はこうだ。
 「ないね。賢い連中はたんと反省するがいいや。僕は反省なんぞしない」

 「時局に黙って身を処した」無数の庶民の胸裡に、積りに積ったろうものの総量に想いをいたせば、小林秀雄にはさよう応えるほかはなかったのではあるまいか。口先で反戦の意思表示をしたかしないかなんぞといった、表面的で薄っぺらな問題ではない。