一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

なるべく俯いて



 どっちがいいんだろう、上を仰ぐのと、下へ俯くのとでは?

 坂本九が唄った「上を向いて歩こう」が国民的歌謡というほどの大ヒット曲だった時代から、六十年以上が経つ。懐メロ曲としても数限りなく唄われただろうし、他の歌手によるカバー版もあることだろう。むろんわが世代の老人であれば、ワンコーラスだけなら今でも唄える。唄えはするが、ふだん思い出す機会はない。談たまたま話題にのぼれば、はい、いかにも憶えておりますですよ、という曲のひとつである。
 今でもこの歌が、熱烈な想いを伴って唄われている場面の映像を、最近観た。南米某国における、日本人会だった。数えるほどの一世(移民当事者)となん百人もの二世三世による懇親会らしかった。
 日本を発ってきたころ、一番流行っていた唄という人もある。今も憶えている日本の唄はこれ一曲という人もある。父さん母さんがいつも唄っていたので、自分も憶えてしまったという人もある。今や父母を思い出すよすがとしても、一家の絆を確認する儀式としても、この曲は欠かせないという人もある。三世ともなれば、日本語はこの唄に出てくる単語しか知らないという人すらあった。

 胸を衝かれたのは、父母もしくは祖父母の愛唱歌だったと証言した人たちまでが、歌詞の意味を正確に知っていたことだ。遅々として進まず、いつ果てるとも知れぬ開墾の重労働に生涯を送った人たちの内面を支えた、労働歌だったのだろう。あるいは宗教歌に近い曲だったのかもしれない。詩の力である。
 いやでも大地を視詰めねばならず、どれほど大地に泣かされてきた人たちだったのだろうか。つかの間なりとも自分を取戻し、慰めるには、空を眺めるしかなかったことだろう。なん百なん千回となく、この大地に立つはわれ一人との想いを噛みしめて、天空を仰いだことだったろうか。

 私にはさような曲があったろうか。さように空を仰いだ経験があっただろうか。規模こそごくごく小さくはあるが俺にだって空くらいはあったさと、うそぶく自分がある。いや俺にはさような空はなかったのではと、疑う自分がある。
 ともあれ今朝は頭上五メートル上空の、まだ一分咲きとも称べぬ桜花のほころびを視上げている。


 上体を無理に反らせている自分に気づき、これではならじと腰を延ばしてラジオ体操の後屈姿勢をとってみる。苦しいのはどちらも同じだ。
 敷地内と往来との境界に立っていたから、通行車のないことを確かめてから、俯いてみる。その場にしゃがみ込んでみる。往来のアスファルトと敷地内のコンクリート打ちの境目に、線状の窪みとひび割れがある。つねに砂ぼこりが溜って、かすかに土化している。断じて土ではない。土化したとはいえ砂ぼこりに過ぎない。
 にもかかわらず、ごくごく小型の草がしがみついて、花を咲かせている。一輪の径が一ミリにも満たない花だ。

 醒めきらぬ寝起きの頭で、眠気取りに表へ出てみた私の、まさに頭の真上と足元とで、花が咲いている。老人はいずれをより多く眺めるべきか。老いた身でふんぞり返っている姿は醜い。かといって背中を丸めてうずくまっているのも、見すぼらしい。背筋正しく棒のように立てればよろしいのだろうが、すべての男が東海林太郎藤山一郎ではない。
 まあ、ふんぞり返るよりはうずくまるほうが、少しはマシか。なるべく俯いて過すように努めるとしよう。


 寒い季節をとおして、雨に打たれようが雪を被ろうがいっこうにへこたれる素振りも見せずに青あおとして、憎たらしいほどの生命力を見せつけていた彼岸花の株たちが、いっせいに葉をぐったりと寝そべらせてきている。緑に艶がなくなり、色も黄ばんできた。葉としての役割を了えようとしているのだろうか。
 このまま枯葉のごとき姿となってゆくのを、天然自然のままに眺めているべきだろうか。それとも球根の負担を軽くしてやるために、ということは十月ころの花の立上りを考えて、弱ったり傷んだりした葉を刈込んでやるべきだろうか。
 私ごときに判断がつくはずもないから、とりあえずは放っておく。ただ俯いて、眺めておればよろしいのだ。きっとそうだ。