一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

さすらわない


 ♬ だれもが 物語 その一ペイジには
  胸はずませて 入ってゆく
  ・・・・・・
  窓の外は雨 あの日と同じ(作詞/伊勢正三

 「ラジオ深夜便」がイルカ特集を流している。『雨の物語』は好きな唄ではあったが、カラオケで唄ったことはない。だのにラジオに合せて、フルコーラス口ずさめる。大根下茹での火加減を看ながら、なんてこった、と思う。
 ヒットしたころ、この曲を知らなかった。私が暮しに日付けを喪っていたころだ。ずっと後年になって、好い曲だなァと胸に沁みた。イルカの声よりも先に、伊勢正三のセルフカバーを耳にしたのではなかったろうか。イルカで聴いて、ますます好い曲だと思った。

 中島みゆき『時代』には即座に、かつはっきりと反応できた。吉田拓郎『結婚しようよ』には「テメェ、ふざけてんじゃねえぞ」と思ったし、『旅の宿』はヨイショ接待カラオケの場でどれだけ唄わせてもらったか数知れない。にもかかわらず、カラオケマイクを握っていたその時期の中島みゆきにも吉田拓郎にも、ほとんど記憶がない。『落陽』で突然、吉田拓郎が帰ってきた。
 寄る辺もないさすらい旅で北海道を切上げて、苫小牧港から仙台行きフェリーに乗船するとき、安宿で袖擦りあった正体不明の爺さんが独り、見送りに来てくれる。ドヤみたいな宿の食堂で、台所から借りた欠けドンブリで夜どおしチンチロリンに興じた仲だ。
 これまで視てきたいろんな人間のことを聞かせてくれた。博奕で身を持崩した奴、女の尻を追いかけて妻子を置去りにした奴、焼酎飲みたさに腎臓を片方売った奴、借金取りから逃げて外国で犯罪者になった奴。爺さん自身がどれに当るかは、最後まで口を割っちゃくれなかった。
 「オイ青年、縁があったらまたどっかで逢おうぜ。餞別ったってなんにもねえけどよ、コレ持ってけ」
 角の磨り減ったサイコロを二個、掌に握らせてくれた……。
 吉田拓郎といえばこれ一曲、とまで私は思い入れた。

 ベトナム戦争終結した一九七五年前後までは、かなり記憶がはっきりしている。それ以後、個々の記憶が鮮明でも前後関係が思い出せなかったり、なぜさような仕儀にいたったかの経緯がぼんやりしたりの時期に入る。一九八〇年代の末尾、天安門ベルリンの壁ペレストロイカだといった騒ぎになって、窓がもう一度細目に開いて、酸素が入ってきた気がした。
 『落陽』に反応する自分が現れ、遅まきながら『雨の物語』が耳に入ったのだった。

 甘酢漬けにする生姜を薄くスライスしながら、もういいや、俺はここに居ようと呟く。いかなる意味合いにおいても、俺はもうさすらわないのだな、さすらう体力も気力も失せたのだなと、今さらながらに自覚する。