ミニチュアの置き飾りは、はや月見の宴だ。
ごく若い友人から、小説を書いてみたから一度読んでみて欲しいとの要請。時代遅れの老骨による参考意見でもお役に立つようであれば、歓んで拝見する所存だ。また久かたぶりに、買って一読してみたい書物も現れた。用件ふたつとなれば、エアコン冷気を求めて午前中から外出する甲斐もある。
冷水シャワーを浴びる。手作り飲料のストックを作って冷蔵庫に収める。メールチェックほかパソコン日課を済ませる。留守中もしものスコールに備えて家中の窓を堅く閉し、さて外出だ。朝食抜きだから、どこかでエネルギー切れになってはならない。ビッグエーでおにぎり三個と格安飲料のペットボトルを買って、鞄に収めた。
正午前には、駅にて下りホームに立つ。飯能経由で池袋行き。本日一回目の不適切乗車を企てる。豊島園行きが来たから練馬まで。小手指行き各駅停車が乗継ぎ待機していたが、一台待てば F ライナー快速が来るという。元町・中華街からはるばるやって来る車輛だ。飯能まではこちらが早い。ホームに設置された飲料自販機の銘柄と値段を調べて過した。
若者の作品は、卒読ただちに手の内が露わになったりせぬように、なるほど迷彩が施されてある。それどころか、読み慣れぬ読者には神髄が伝わらぬような書きかたがしてある。いたづらに混乱へと誘っているのではない。さような一見混乱状態こそが、あれこれ同時に考えつつ行動する人間の偽らざる現実だろうと云いたいようだ。
半分読んだところで、飯能に着いた。ホームのベンチに腰掛けて、おにぎりを一個食った。ピリ辛かつお昆布、というものだ。
改札口のある高架ロビーへ揚って、売店を覗いてみた。地域特産品でもあるかと期待する気持だったが、サンドイッチと菓子パンと、菓子と飲料と煙草の店だった。改札脇の小さな売店だ。「道の駅」でもあるまいし、期待外れが当りまえだ。それでも店外にはマガジンラックほどの移動棚が一脚だけ張出されてあって、西武鉄道ご自慢の特急や新型車輛を賑やかにデザイン化した、ペンケースだのキーホルダーだの、コースターだのマグカップだのが並んでいた。
「キーホルダーねえ、今どきは携帯ストラップじゃねえのかなあ」なんぞと思いながら、近くの飲料自販機から「いちごオ・レ」を買ってみた。まことに、それ以上でも以下でもない味がした。
池袋行きの座席で、続きを読んだ。
学生時分から、研ぎ澄まされた切っ先を見せびらかすような青臭さは卒業していた書き手だった。シェイクスピアもチェーホフも、面白く読んだと云っていた。それならばと、モーパッサンとモームとキャサリン・マンスフィールドを奨めた。樋口一葉やジェイン・オースティンも奨めてみた。ゴーゴリやポーやロレンスやカフカは、あと廻しでいいからと、云い添えた。手に余る課題を出しやがってと、思われたかもしれない。
いく年かの職業経験を経て、書きぶりはますます普通に、当りまえになってきている。つまり落着いてきた。むろん描くべき芯は、当りまえとはほど遠い世界だ。これからが、作家修業の胸突き八丁ということになる。ともあれ池袋に着くまでに、いちおう読了した。将来ある若い書き手の成長に、気を好くした。
駅から地下道伝いに入店できる三省堂書店に、求める一書はあった。岩波文庫のマックス・リュティ『ヨーロッパの昔話 その形と本質』を買った。
地上へ出てみたら、予想を超えるほどの蒸し暑さだった。せっかくだから寄ってみたい店の二三はないでもなかったのだが、即刻断念した。
週末書入れの月曜定休ということなのだろうか、シャッターを降ろした店舗が眼に着く。ふだんは視過してきた緊急医療設備が、シャッターが閉されているおかげで、異様に目立った。さいわいにして使った経験も使われた経験もない。が、これからはどうだか判ったもんじゃない。
それにしても、もし出番でもあればそこそこ有能かもしれないが、めったに出番はない。長らくその場に、当りまえに立ってきたのに、周囲のシャッターが閉じられなければ、存在に気づいてさえもらえない。変な稼業だ。他人事とは思えない。
タカセ珈琲サロンでの本日のおやつは、アイス珈琲とブランデーケーキにした。カステラに洋酒をたっぷり滲み込ませた、ぜいたくな気分の逸品だ。
今しがた買ったばかりの世界的名著の序文とあとがきとを読む。身勝手なもので、冷房が効き過ぎて寒い。店を出ることにした。
人気のミニチュア置き飾りは、もう秋である。
夕方と称ぶにはまだ早い。外はとんでもない蒸暑さだ。やむなく本日二度目の不適切乗車だ。池袋始発の下り急行。若者の作品をもう一度読む。所沢にて下車。西武新宿線の下りに乗換え、本川越まで。折返し所沢まで戻る。西武池袋線の下りに乗換え、飯能まで。その車輛に乗ったまま池袋方面へ折返す。石神井公園にて下車し、各駅停車に乗継ぎ、帰宅の途に。
作品の輪郭も迷彩の施されかたも、くっきりした。