
おおかたの露店は、撤収作業に入る。雑司ヶ谷鬼子母神さまご境内での「手づくり市」である。
夜半から早朝へかけて、時おり肌寒さをおぼえるほどの涼風が吹いた。だのにラジオでは、今日もきびしい残暑になると警戒を呼掛けている。ホントかいな、と思った。
陽が高くなるにしたがい、気温も湿度も急上昇し始めた。午前十時には、肌にベトッと来るような湿気をともなう猛残暑となった。濡らしたティッシュペイパーで口と鼻とを塞がれたような、息苦しさすら感じた。
それでも今日ばかりは出掛けてみよう、いやぜひとも出掛けたいとの思いがあった。古書往来座さんの店先で、中古の雑貨小物が展示即売されると聴いていた。おりしも同店からほどなくの雑司ヶ谷鬼子母神さまのご境内では、年にいく度か定例化しつつある「手づくり市」が開催されるという。我こそはと腕に覚えの工芸自慢が参集しての露店市だ。布物紙物、木工革工金工にアクセサリー類、小ぶりなもの可愛らしいものが、これでもかとばかりに並ぶ。ルートで眼の保養ができる一日だ。

ご店主とのむみち店長の肝入りで、首脳陣のお一人である画家の武藤良子さんによる蒐集と選定の品じなが、古書往来座の入口両脇に処狭しと並んでいた。骨董品というほど敷居の高いものではなく、かといって使い古しの道具類というほど視くびることもできない、私なんぞには懐かしき昭和時代の生活雑貨である。新骨董と称んでもよろしかろう。
店内にてお三かたと談笑に耽ったり、思い立って書棚を観て歩いたりする間にも、なん人もの通りすがり客が、気に入った品を手にして入店しては、帳場に代金を支払ってゆく。老若男女様ざまだ。
思わぬ長居をさせていただき、ご商売のお邪魔だった。理由はある。外はあまりに暑い。しかも多湿の不快さもひどい。
夏痩せによる体力減退は思った以上に甚だしいようだ。池袋駅から徒歩十分で到着する道のりを、肩をすぼめて陽傘を差した老人が、つねよりも小股でトボトボと、ようやく辿り着いてひと息入れながら、旧知のかたがたと談笑しているのだ。冷房を浴びさせていただいているわけだ。
この先ほんの徒歩五分ほどとはいえ、鬼子母神さま境内まで足を伸ばしたところで、満足に散策なんぞできるもんだろうか。いささか自信をもちかねた。
結局またトボトボと、池袋駅方向への帰路を歩いた。わずかな時間にも汗をかいた。息も切れた。とにかくひと休みと、つまりはいつものタカセ珈琲サロンの扉を押す。いや押さない。掌を近づけると自動扉が左右に開く。
なんとはなしに自分を励ましたい気が湧いて、つねにもなく今日のおやつは二個。ここのところ一推しのブランデーケーキと、それ以前に一推しだったマロンデニッシュだ。カステラ状のフルーツケーキにブランデーがたっぷり浸みた、甘みと苦みの交錯と、なんとも豪勢な栗粒と栗ペーストのダブルぜいたく味である。
読まねばならぬ本がある。近ぢか人前で喋る仕事が入っている。そのために用意しておかねばならぬレジュメがある。〆切が近い。脳の演算能力が著しく低下していて、往年の段取りどおりには進まない。もどかしい。
とにかく二時間は、ここで頑張ろうと念じた。が、十分ほどは居眠りしてしまった。
店を出て、駅前ロータリーの中洲にアクリル塀で仕切られた喫煙所へと向う。陽射しはいくらか和らいだが、まだ蒸暑い。が、いくらか元気を回復している。豪華おやつと珈琲が、そして冷房と居眠りとが、回復させてくれたらしい。一服もことのほか美味い。
鬼子母神さままで歩いてみようかという気が起きて、また古書往来座さん方面へと歩きだした。
境内では、出店者さんがたが競うようにして、店仕舞と後片づけの真最中だった。手早く了えたかたから順に、周囲の出店者に挨拶しながら、会場を後にしている。小造りの店に展示品も小物ばかりだから、撤収荷物も小さい。せいぜいが台車一台。あるいはキャスター付きのトランクひとつふたつで、身軽に去ってゆく。
なんとはなしに、好い時代になったなあと思いながら、しばらく境内の隅っこに立って、境内あちこちに繰広げられる撤収風景を眺めた。