一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

新幹線なら



 夕暮れ。ちょっぴりアートな気分?

 ようやく身繕いを了えて、さて出かけようとしたら、郵便受けの蓋になにか挟まっている。宅配便の不在連絡票だった。昨日の十四時ころに配達されたらしい。お気の毒なことをした。一人前の郵便物であれば素通しの小窓からはっきり見えるから、昨夕の帰宅時に視逃すはずはなかったのだが、ちょっと見に内部は空で、バネ仕掛けの蓋に小伝票だけが挟まっていたので、つい視落したようだ。
 机に戻って、再配達の依頼連絡を済ませる。出鼻をくじかれた恰好だ。

 午前十時半を回った陽射しは、真上から狙い撃ちされているかのようだ。日傘の助けなしには歩く気も起きない。天気予報に関係なく、このところ雨傘兼用の濃色の布こうもりを携帯している。
 かような炎暑となっては、墓掃除も墓詣りも無謀というものだ。明日から旧盆だが、事前掃除なしのぶっつけで行くほかない。せめてスムーズにことが運ぶように、供え物だけでも今日のうちに用意しようかと、肚が決った。

 飯能経由で池袋へ向う。運好く各駅停車の飯能行きがやって来た。乗継ぎの必要がない。しかもどうやら腰掛けられそうだ。追抜かれたり待合せ停車したりを繰返しながら、これでのこのこ行くのが好い。
 やれやれひと息ついて、所沢あたりまではウトウトタイムだ。今日は眠気が差してこなかったが、眼を閉じて半睡半醒で過した。正気が戻ってくる想いがする。
 車内冷房は、私には少しゆるい。車体はフライパンほどにも熱しられているだろうし、いくらブラインドを降したところで窓ガラスは直射日光を浴びている。だいいち各駅で停車するたびに、一輌に四か所の扉が開閉されるのだ。冷房が少々ゆるくなるのは当然である。

 そこへゆくと、逃避場所の定宿とする喫茶店はどこも、私には冷房が少しきつい。これも当然だ。汗を拭きふき来店した客の躰が冷めて、正気が回復できたら、さっさと出ていってもらわねばならない。心地好げに長居されて、そこで小半日も生活されては、商売あがったりである。
 要するに完璧な快適空間なんぞというものを、他人から低コストで得ようとする料簡が間違っているのであって、客としては按配を索めて移動を繰返すほかはないのだ。


 終点飯能駅では、同じホームの向う岸に、乗継ぎ想定の西武秩父行きが待機していた。これに乗車すれば、一転してはるかに多彩な世界が展けるとは承知している。吾野があり高麗の里がある。名栗川があり正丸峠がある。川遊びがあり草木染の里がある。もっと行けば秩父霊場の札所巡りがあり、乗換えれば長瀞までも行ける。ことごとくかつて一度は体験した世界だ。
 ことに秩父は、石の種類が多彩豊富な点で全国屈指の地だ。水石愛好家にとっては聖地のひとつに数えられる。名石銘石の産地は全国に多い。だが種類の多さでは、秩父は群を抜いている。火山系の石と、海底から隆起した水成岩系の石との、両方が視られる。
 ただしもっとも見事な岩石風景を観せてくれる長瀞は、自然ナニガシ地区と指定されているから、今では足元の小石一個拾って持帰ろうとしても、叱られるだろう。

 今日のところは、乗継ぎ電車には乗らない。深みに嵌り過ぎる。近い将来、乗ってみる気はある。池袋へ向う。わが駅から池袋まで、新幹線であれば、東京から名古屋まで行ける時間がかかった。


 無事に盆の供え物の調達はできた。百貨店から一歩出れば、まだ炎暑の盛りだ。堪らず定宿へと逃げ込んだ。
 タカセ珈琲サロンにて、今日のおやつはアイス珈琲と餡ドーナツ。古くからの定番メニューに戻った感じだ。たっぷりのこし餡が薄衣のようにパンをまとった感じの、タカセ様式だ。銀座で餡パンと云えば木村屋らしいが、池袋で餡パンといったらタカセと昔から決っている。お若いかたはご存じないかもしれないけれども。タカセとしては、他の商品であればいざ知らず、餡こについてだけはとやかく云われるわけにはゆくまい。

 私同様に炎暑避難のかたも多いのだろうか、昼休み時間帯を過ぎていたにもかかわらず、繁盛していた。ノートパソコンを持込んで作業中のお客も多い。さような連中が腰掛ける席には一定の傾向がある。エアコンの冷気に直撃されぬ席だ。
 私はごく並の客として涼み、二時間ほど本を読んだら、すっかり躰が冷えた。帰りも、飯能経由にした。新幹線なら、岡山まで行けたことになる。
 宅配便の再配達をお願いしておいた時間まで、あと三十分だ。寄道せずに帰らねばと急ぎつつあった道で、オヤッとふいに立停まった。夕暮れの空が、かすかに秋である。