一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

批評の奥行



 文芸批評がたしかに新たな局面に入った、という気がしたものだ。

 『殉教の美学』が出現したとき、文学も芸術思想も左翼・右翼というような表面的仕分けで片づくはずのものではないと考えた、鋭敏な学生は少なくなかったろう。たとえば安部公房は左翼的、三島由紀夫は右翼的というようなレッテル貼りをもってしては、なにを理解したことにもならぬと、学生も理解し始めたのだ。学生を盲目的にさせる魅惑的指標が「革命」から「情念」へと移行する時代が、すぐそこまで来ていた。
 同世代の文芸批評家としては、飛びぬけて若くして登場していた江藤淳の、後続がようやく出てきたのだと、私は受取った。果せるかな相前後して、桶谷秀昭・秋山駿ほかの登場によって、文芸批評花盛りの文学世代となった。

 『殉教の美学』の内容は三島由紀夫論なのだが、私は鈍感なことにまったく反応できなかった。ややあって『戦後批評歌論』が出たとき、この批評家の立ち位置、そしてこの世代の特色が、はっきり掴めたと感じた。初期著作のいく冊かを熱心に読んだ。どういうわけか今、本が見当らないが。
 読むうちに、この人が論を運ぶ技法に、かすかな疑問をおぼえるようになった。とある事象から指標を抽出し、別の事象からも指標を抽出する。その手際は入念でじつに魅力的だ。そして指標同士を絡ませたり対立させたりしながら、論理が進行する。しかし指標はあくまでも観念である。どうしたって論理が人間を離れて、観念同士の格闘めく瞬間が生じてしまう。説得力はあるが、はて、それでよろしいのであろうかとの疑問が、随所に湧くようになってしまった。
 私は熱心な磯田光一読者であることから脱落した。おりに触れて、その見識から啓蒙を受けるだけの読者となってしまった。

 代表作のおおかたは文庫化されてある。またバラ本で所持していた『著作集』は、どういうわけか第二巻だけ二冊ある。想い出の『戦後批評歌論』と、吉本隆明についての全論考とが収録されてある。吉本隆明についてじつに数多く語った人で、その全部がまとめられてあるのは便利だ。
 磯田光一を古書肆に出す。ただしせっかく二冊あることだし、『著作集』第二巻だけは一冊残す。
 少し遅れて登場した、在野の批評家梶木剛の著作が二冊あった。これも古書肆に出す。


 文芸思潮を眺めわたしてみたいと、しきりに思う時期があった。それには論客による評論に加えて、作家・批評家たちがおりに触れて所見を吐露したエッセイ類や、論争における発言などが、ことに役立ち、面白くもあった。
 該博な見識をもつ編者陣の監修による、緒論のアンソロジーが役立った。『現代文學論大系』は分野別に選別整理されてある。モダニズム文学・プロレタリア文学というように。『昭和批評大系』は年代別に選別整理されてある。昭和十年代・二十年代というように。ともにすこぶる行届いたものだ。各人の著作からこれらを拾って読むなどということは、とうてい無理である。
 現在でもなお、若き学徒にとっては基礎体力の糧となるにちがいない論述の宝庫であろう。古書肆に出す。

 書架でそれらの近くに、私なんぞが理解できたものやらできなかったものやら、今となっては分明でないバラ本が立っていた。羽仁五郎家永三郎三枝博音高坂正顕の著作で、私のような読者にとっては「偉い人の高級な論述」である。なかで家永三郎『太平洋戦争』にはたいそう教えられた記憶があるが、さて、なにをどう教わったものか、思い出せない。
 いずれも古書肆に出す気になったのだったが、写真に撮ってから気が変った。三枝博音『日本の唯物論者』一冊のみは残す。