一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

菊花展



 おごそかにして晴がましい菊花展というものを、ながらく観ていない。

 今だってどこかで、大輪の三本立ちや千輪咲きや、懸崖作りや小菊盆栽は、威風堂々と展示されてあるのだろう。天皇家に由来するが場所、たとえば明治神宮にも新宿御苑にも、ながらく赴いたことがない。古刹名園だの百貨店の大催事場だのにも、足を向ける機会がない。ようするに、菊花が飾られてあるような場所へ、私が出かけなくなっただけなのだろう。

 菊と聴いて連想が湧く記憶がないわけじゃない。漱石三四郎』だって、一葉と本郷菊坂だって、それよりなにより中山義秀『厚物咲』について、記憶を蘇らせてみたいことはある。
 我われが花と観ているのはじつは花の集合体であって、花弁と観ている一枚いちまいが単一の花なのだという、キク科植物の特徴についても想いは誘われる。花弁が巻いた状態で観賞する大輪は、いわば花弁の裏を観ているわけで、どうしたって表よりは色が淡い。その宿命を克服すべく奮闘してきた人間の歴史だって、つまらなくはない。
 だが今日は、おごそかな話題に陶然となっている場合ではないのだ。古本屋研究会「堂々堂」の営業最終日である。今日を狙い撃ちするかのようにご来店くださる眼利きのお客さまや懐かしい顔ぶれなどが、目白押しとなる。老骨もこれから出かけなければならぬのである。暢気にパソコンに向っている場合ではないのである。

 他方でこの日記は、独居老人を日ごろそれとなく見張り、お心にかけてくださってきた、なんともありがたき少数の知友に向けての、わが生存確認のごときものでもあって、更新しないわけにもゆかない。今日もなんとか生きておりますとの合図を、暗号化したのが「一朴洞日記」全文であるとも云い換えられる。

 今の私にとってのキク科植物と申せば、花長さんでいただく墓前用の小さな花束に一輪二輪の菊が混じる場合と、雑草扱いされて気の毒な日々を送りながら、それでも毎年たくましく芽吹いてくる拙宅敷地内のタンポポたちくらいのものだ。間違っても菊花展や文化の日に関連するような花たちではない。
 しかしこの付合いを、私は少し気に入っている。