
日芸祭開催初日である。ということは学生古書店「堂々堂」の今年度営業初日である。
午前十時開店と聴いていたが、正午をわずかに回ったころ正門前に到着。まず守衛所へ出頭。新進気鋭の多い講師陣よりは、ベテラン守衛さんがたに顔馴染みが多い。
「今日は入構手続き不要です。フリーパスでお通りください」
たぶんさようかとは思ったが、顔出しは大切だ。守衛所で時候や無沙汰の挨拶そして世間噺を長ながとしてゆく来校者など、多くはあるまい。
「皆さんでお茶のときにでも」
今年は立ったままの一服でも気軽に摘めるように、「おかき詰合せ」にした。
次に文芸学科事務室へ。学生にとってのよろず相談窓口でもあり、事務や資料室の職員さんがたの執務室だったり楽屋だったりする。助手諸君のデスクもずらりと並んでいる。
「おはようございます、古研でございます。本年もお世話になります。これはほんの賄賂でございます。古研だけを、どうぞよろしくお願い申しあげます」
菓子箱は、これでもかと秋の彩りを強調した和菓子詰合せにした。職員さんと助手諸君のあたま数は、先刻呑みこんである。
対角線方向の衝立の陰にいらっしゃるかもしれないかたにまで届く、大声を張りあげなければ効果はない。このジジイ、今年はまた、なにを云い出すもんだか。さよう思ってもらえれば、ポイント1 だ。若い助手諸君(多くはかつての教え子)が対応に窮して、にやにや笑うだけで言葉が出てこないようであれば、まずは作戦成功だ。つまりすっ頓狂な年寄りという役回りを果せたことになる。なにもお役に立てぬものは、せめて祭の華やぎの一助にでもならねばならない。

各サークルが出店を連ねるホールへと、ようやく踏み入る。商品搬入と大まかな店造りとは、昨日中に了えてある。現会長と昨年卒業していったヤング OBとが、展示の微調整をしていた。経験からくる勘を行使してくれている。あらかじめ調整されたシフトに則ってあとから出勤(?)してくる下級生たちが働きやすいように、気を配っているわけだ。連綿と受継がれてきた伝統だ。会長が女子の時代も、複数会長の時代もあった。
まだ商品の並べ替えをしているというのに、一番乗りでやってきて、熱心に物色してくださるお客さまがある。これも例年のことだ。ガバッと大人買いしてゆく人、目星だけつけておいて、夕方再来店する人、最終日に再来店してもし売れ残っていたら買ってゆく人と、お客さまの癖もいろいろだ。
私の講師就任以前に卒業してゆかれた OB の小出版社社長がお顔を見せてくださった。仕事上でもお世話になったことのあるかただ。ご活躍の一端はウェブ上で承知していたが、久びさに言葉を交して懐かしかった。
ゲームや視聴覚商品のシナリオライターがお土産持参で訪ねてくれた。わがゼミ生時分から、大学に期待などせず、逆に利用するだけ利用してさっさと巣立っていったサムライだった。
他大学でわが教室に在籍した古い OB が、これもお土産つきで訪ねてくさった。おり悪しく中座して、美術学科の展示場やら喫煙所やらを回っていたために擦違ってしまい、せっかくの機会を失礼してしまった。
近隣古書店の女性店長さんが立寄ってくださった。古研立上げ前の学生で、もし彼女の在学中に古研が活動していたら、当然会長となっていたろう。こちらも私の中座中のことで、近いうちにお詫びを申しあげに伺わねばなるまい。
卒業後は京都に長らく住んでいると噂に聴いていた女性詩人が訪ねてきてくれた。わがゼミ生のころから詩にしか興味のない学生で、古研会員として書店巡りに同道しても、詩集か詩人関連の書籍にしか手を伸ばさなかった。今は東京に帰ってきたのだという。面立ちも喋りかたも、変ってなかった。
「電話ボックス憶えてる?」「もちろん憶えてるわよォ」
私はブル中野さんのユーチュ-ブ・チャンネル「女帝の館」に登録して、愛視聴している。一世を風靡した全日本女子プロレスの道場の前の道端には、一台の電話ボックスが立っていて、後にチャンピオンとして華ばなしく活躍するようになった選手を含めて、ヒールであれベビーフェイスであれ少女レスラーたちは一人の例外もなく、ここから郷里へと、涙ながらに電話した想い出をもつという。
道場はとうの昔になくなり、跡地も近所一帯もまったく様変りして、記憶をたぐり寄せるよずがもないという。ただ一台の電話ボックスだけが、今も立っている。ブル中野さんと長与千種さんとが「あたしたち、こんなとこで、泣いてたんだねぇ」と、言葉を詰まらせた。
現在それぞれの分野で日夜活躍する卒業生たちにとって、ふと気晴らしに寄った母校の大学祭で偶然視かけた退職教員なんぞというもんは、電話ボックスのごときものか。