一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

立冬



 立冬である。

 今朝がたは、今季一番の冷えこみだったという。つねのごとく私は、夜更しがたたって遅くまで寝ていたが。
 木枯し一号が吹いたという。どうりで建てつけの悪い裏口の扉がガタガタと音を立てていたのを、半睡半醒のうちに聴いた。
 富士山が初冠雪だという。朝がたには、わずかに白くなった頂上が麓の街まちから見えたものの、昼ちかくには七合目あたりから上は雲に隠れたという。山の天気は急変するから、午後にはまた山頂が望めるのではないかと期待する、地元のかたがたがあるという。
 どれもこれも、観察史上初とか何十年ぶりとかの、早さ遅さだという。おりしも立冬の日に。

 福島第一原発では燃料デブリを掴み出して、専用コンテナに移す作業が開始されたという。燃料と炉内物質とがもろともに高温で溶けたものが、冷えて固まったものをデブリと称ぶそうだ。事故から十年目の開始を目指していたのが、設備の開発(発明)が目論見より手間取って、十三年半後の今日、着手にまで漕ぎつけたという。
 取出したデブリ放射線量を測定したところ、懸念したほど高い数値ではなく、専門家が装備を整えて作業することすらまったく不可能、というほどではないとのことだ。とはいえ、たいへんな危険を伴う作業にはちがいなく、寸分の油断も許されぬ、神経を擦り減らすお仕事が、今後も長く続くことだろう。

 今日取出しに成功したのは、十グラムほどだという。一号機から三号機の底に眠るデブリの総量は、推定八百八十トンとされている。このペースで毎日取出してゆけたとしても、二十四万年かかる。むろん机上の計算にすぎないけれども。
 だいいちすべてのデブリを漏れなく取出すほどの技術を、現在人類は持合せていないという。これから技術開発(発明)してゆく資料として、今日の十グラムの分析はことのほか重要なのだそうだ。
 途方もない十字架を背負ったことになる。子孫へと、とんでもない遺産を残すことになったものだ。


 猛暑のころから秋いっぱいを、連日炒飯で過した。夏負け防止、スタミナ補給のつもりだった。味を換えたり、トッピングを換えたりしながら、とにかく来る日もくる日も中華鍋を振った。今朝は思い立って、粥飯を炊く。
 昆布を炊き込んだ冷凍飯に若布を投じ、青海苔胡麻とをトッピングした海藻粥だ。オニオンスライスを甘酢味噌でぬた風に。目玉焼きにウインナを刻んで、これで炒飯定食の膳と同格の食材を維持できる。
 月並なわが食膳も、気分だけはかすかに立冬である。