生来のものぐさに加えて、老化による出不精がひどくなってきた。さらに筆不精まで。もはや致命的症状か。
礼儀知らずにして無謀だった若き日に、ご高齢の大先輩に宛てて自分らの同人雑誌を送りつけたり、あとさきも省みずに書面をお送りしたりもした。むろんお眼に止まらずに屑籠へ直行することは、覚悟のうえだった。
ありがたいことに、そんな無礼な若造に対しても、受取った旨のお葉書をくださるかたも、稀にはあった。嬉しかった。ありがたかった。励まされた。
ご高齢のかたの筆跡は、しばしば頼りなかった。この先生はこんな字をお書きになるのかと、意外な気がした。が、私の幼稚未熟ゆえの感想だった。そのかたの筆跡ではなく「老人の」筆跡だったのだ。
今は解る。指にこめる力が安定しない。筆圧が一定でない。縦線をまっすぐに引けない。横線が波打つ。結果として文字がフニャフニャしている。縦書きしているつもりでも、行末まで書いてみると、行が湾曲している。三行書くと、ふたつの行間が等しくない。いやはや、眼を覆うほかない書面である。
それでもご著書をご恵送くださったり、お心づくしの品物のご恵贈に与ったりした場合には、まさか入力印字というわけにもゆくまいから、ほんの五行八行のお礼であっても、自筆葉書ということになる。ところが縦線も横線もまっすぐ引けない。そのうえ重症の筆不精だ。ご無礼が溜る。とんだ失礼を冒す。
「やっぱり日本人は、これだよなあ」
と、煎茶を喫して、菓子を口にした時代があった。珈琲も紅茶も、ひととおり味わってはみたと、生意気な自信を覚える齢ごろだった。その時分の私をご存じの旧い仲間から、
「お~い、こんなのがあるんだが、お前、知ってたかね」
と、銘茶のご進物があった。
ご親切いたみ入るけれども、今の私は麦茶パックの水出しで、一日一リットル飲んでいる。スティックタイプの紙袋からマグカップにあけて、湯を注ぐだけのインスタント珈琲を毎日飲んでいる。朱泥の煎茶急須も珈琲メイカーも、食器棚の奥に伏せられたままだ。出てくる機会はめったにない。
さぞや香りの佳い茶なのだろう。鼻の奥で、かすかに記憶が蘇る気もする。だが気がするだけで、実際には今の私に、感じ取れるとも思えない。猫に小判だ。
それはそうと、あの頃、君は憶えているかい、ほら、なんて云ったかねえ……。
「和菓子も洋菓子も奥深いんだろうけどさ、正直云えばこれだよな」
せんべい好きを自任する仲間としきりに共感し合った時代があった。柔らかく食べやすい今風お洒落おかきなんぞには眼もくれず、「げんこつあられ」と称ばれた巨大な鬼あられを絶賛していた。固ければ固いほどよいと、本心から思っていた。その時分の私をご存じの旧い仲間から、
「お前、こういうの、好きだったよな」
と、米菓専門店のおかき詰合せのご進物があった。醤油味に塩味に青海苔、海老に胡麻に海苔巻の六種類。隙なく行届いた組合せだ。
たしかに大好物ではあるけれども、今の私にはほとんど歯がない。缶ビールを片手に「柿の種」を口へ放り込んだとて、少し舐めながら角度を調節して、この角度ならかろうじて噛めるかと、恐るおそる歯を立てる始末だ。老舗の米菓も、私には猫に小判だ。
そんなことより、あん時の彼女、今どうしてるか知ってるかい、ほら、なんて云ったかねえ……。
なにも俺一人が耄碌したわけでもあるまいにと、旧い仲間らにツッコミを入れる筋合いではない。彼らは銘茶や米菓を贈ってくださったわけではない。記憶や想い出をお贈りくださったのだ。