
涼しい。微風も吹く。快適な日だ。
インターバルによれば、作業の日ではない。しかし汗みずくとならずに作業できる日が、ひと夏にいく日もあるとは思えない。後日思い返して、なんであの日を無駄にしたかと後悔するのは、想像するだに腹立たしい。
玄関番のネズミモチを剪定することにした。腹づもりでは、夏の盛りを過ぎてから、おそらくは旧盆明けてからの作業のはずだった。が、せっかくの涼しき日に、汗まみれになる心配のない軽作業といっても、ほかに適当な作業を思いつけなかった。
剪定といっても、おもに外形だけだ。樹の内にまで腕を突っこんで枝を間引いたり、各枝先の二葉のみを残して、余葉を摘んだりするのは、樹の冬眠期を前にした晩秋の作業だ。今は背丈を維持することと、過密な葉や分岐し過ぎた小枝を詰めて、樹内にまで風通しを好くしてやるだけだ。いわば丸刈りでも、ましてや剃髪でもなく、無難な調髪に過ぎない。それでも夏の病害虫対策には効果ある。

まず徒長枝を刈る。主目的は樹の背丈の維持で、参考にするのは私の背丈だ。あるじがこの程度なのに、玄関番ばかりが巨き過ぎるのはよろしくない。ご来訪のかたがたに対して、偉そうでいけない。
背丈が決ったら、葉が混み過ぎた箇所に鋏を入れる。葉を間引く場合もあれば、小枝ごと落す場合もある。ともかく樹内に風通しが好くなることが肝心だ。
いずれが前後だったものか忘れてしまったが、鳥たちが運んできて糞とともに蒔いてゆき、芽を吹いたネズミモチが五株あった。父も母も、草や花には興味を示しても、樹に対してはなんの手立てももたぬ人だった。なん年も無関心に過すうちに、育ち過ぎて手に負えなくなった。
看病と在宅介護の十年間は、私にとってネズミモチとの駆引きや闘いの年月でもあった。両親とも他界の後は、私の根性にも腰が入った。
押し引きはいく年も続いたが、次第に私が主導権を握るようになっていった。ひと株は幼かったこともあり、根も幹も掘り上げることに成功し、姿を消した。三株とは悪戦苦闘を続けたあげくに、ようやく切株だけの姿となり、ひこばえ相手の掃討戦にはいった。根の方向を探っては断つ地道な作戦を継続するうちに、ひこばえも生えてこぬようになった。最大のひと株が、今年に入ってから根も切株も自然腐蝕により崩壊した。切株はあとふたつ残っている。もうなん年も成長は止めている。
四株はかように最期を迎えたが、ひと株だけ生残っているのが、この玄関番である。芽吹いた場所が幸運だった。私と利害が一致したのである。で、今もこうして付合っている。

昨日かなりの量を埋め戻したおかげで、枯草山に隙間ができている。本日の枝葉を積んだ。日ごろこの場所はダンゴムシたちの最大コロニーなのだが、果して虫たちは、草の葉類と同様に樹木の枝葉類をも好適なる住処とするのであろうか。しばらく様子を窺ってみるつもりだ。