一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

ほとんど

 昨日の日記にたいして、古い仲間から、居酒屋で巡り合せたご婦人をなぜ深追いしなかったのかと、コメントをいただいた。ガールハント(死語か?)の気概が足りぬとの叱咤激励だ。
 心外である。固有名詞と経済観念については、めっきりボケ老人となり果てたが、女性への興味は減退していない。欲惚けは重症だが、色惚けはそれほどでもない。それが証拠に……ま、それはおいおい。

 色惚けの諸相だけれど。『鍵』『瘋癲老人日記』は私の気質にもっとも近いようだが、それゆえだろうか、なんだか嫌だな。『眠れる美女』『片腕』は無残。『発掘』『変容』はもぞもぞするばかりで、はっきりしない。どこまで用心深い作家か。『墨東綺譚』はもっとも素敵だけれど、カッコ良過ぎるな。どこかに嘘があるんだろう。厄介なのは『假装人物』だ。冷眼の作家と称ばれるのもむべなるかな、よくもまあ平気で、あんなふうに書けたもんだ。
 そうなると、無邪気で渋い老いかたとしては、『思ひ川』『うつりかはり』かねぇ。

 ときに商売がら、女性学生に取巻かれつつ老いてきたが、商売物に手を付けたことは一度とてない。これは危ないなと、ひやりとしたことも……ほとんどない。