一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

気づく

 「細かいのが四十と、ひいふうみい……八円、お改めください。あとはこれで崩してください」
 ファミマやビッグエーでのレジだ。小銭入れがジャラジャラしてきた時には、買物まえに百円未満がいくらあるか確かめてから入店する。両替という手続きなしに、自然循環によって財布・小銭入れを適正にしておきたい。
 サミットストアだけは、近年機械入金になったので、まごまごしていると、「入金してください」と機械の声で催促されてしまう。銀行ATMと同じだ。

 ファミマとビッグエーでは、「まず大きいほう」と店員さんが釣銭の札を、私に見えるところで数えてから、渡してくださる。「たしかに」と小声に云って、受取る。百円硬貨も受取る。「お世話さま、いただきます」ファミマでは煙草や駄菓子など小物が主だから、その場で商品を我が頭陀袋に入れる。ビッグエーでは、重さも嵩もあるから、籠ごと受取って、詰替えの作業台へと移動する。
 
 仕事が立込んだり、ここのところのオリンピックで観逃せない試合があったりで、台所に時間を割きにくく、久方ぶりに何度か、コンビニ弁当のお世話になった。「お手数ですが、弁当を温めてください」と、お願いすることもある。

 ところでこの「お改めください」「たしかに」「いただきます」「お手数ですが」に、怪訝そうな顔をされることがある。お若い店員さんや、前後に行列していたお客たちにである。「はぁ?」と訊き返されたことすらある。
 かと思えば、にっこりなさる店員さんもある。ビッグエーには、愛想の良い働き者のフィリピン人の奥さんパート店員がいらっしゃるが、彼女は私の言葉にもう一度「ありがとうございま~す」と重ねてくる。

 ほんとに必要枚数あるのかしらんと、あからさまに私を疑うようで失礼かと、相手がお気遣いなさらずに済むように、「どうぞお改めください」と云う。普通の日本語である。
 ご丁寧にお示しくださった枚数、私も確かに確認いたしました、今後この件に行違いはありえません、とお伝えするために、「たしかに」と云い添えながら釣銭を受取る。普通の日本語である。

 生産から販売まで、無事に商品を運んできてくださいましたが、確かに受取りましたので、ここからは私の責任です。傷み・不備などのクレームはあり得ませんと約束する気持ちで、「いだだきます」と云う。あたりまえの、日本語的気遣いである。食事でもなく、食糧ですらないのに、「いただきます」は変だよと、子どもに教えていたお母さんがあったが、あなたはまだ、日本語をマスターしていらっしゃらないのだ。日本に産れ育ったから自分は日本語に堪能なはずという己惚れ、やめてくだされ。

 弁当温めのチンも、サービスメニューのうち、想定された労働のうち、代金のうち、そりゃそうだろう。だが客は他にもあって、できれば手際よく仕事したい店員さんに、もうひと手間かけさせるのだから、どうせなら気持ちよく応じていただきたくて「お手数ですが」と云い添えるのだ。普通の日本語である。

 反応してニッコリされる店員さんも、無反応な店員さんもある。年代には関係ない。国籍にも関係ない。年齢いった日本人が日本語に長じているというのは、嘘である。
 べつだん反応していただきたいわけではない。無反応で結構だ。ただ「はぁ?」はないだろう。「変だよ」はないだろう。
 コロナ禍でいっそう輪をかけたのだけれども、それ以前から、世間を退いた身の上につき、人さまと会話する機会が、まことに少ない。ふと気づくと、この三日間で口をきいた相手は、煙草を買ったときのファミマの店員さんだけだなと、気づいたりすることもある。