松山容子さん主演のヒットシリーズ。今も鮮明に記憶する高齢者は多かろう。
吉永小百合さんを、岩下志麻さんを、倍賞千恵子さんを大女優とお称びして、反対の手が上ることはあるまい。が、松山容子さんを、お若いかたはご存じないかもしれない。しかし確かに、ある時代に、はっきりとお仕事を残された女優さんだ。
ボンカレーのパッケージ・キャラクターとしても、長く親しまれた。
仕事の多かった人と、長く記憶される決定打的な仕事を持つ人とがある。優劣や評価の高低の問題とは関係ない。吉永・岩下・倍賞さんは、質も量もタップリある、文句なしの大女優さんだが、誰しもがさようでありうるはずがない。
検索すれば、映画とテレビドラマとで、松山さんのお仕事はうじゃうじゃ出てくるだろう。がやはり、「お市」とボンカレーがあったからこそ、松山さんは長く記憶されているのではないだろうか。
野坂昭如さんが、我ら駆出しどもを前に、こんなふうにおっしゃったことがあった。
――こんな私でも、作家扱いしてもらえるのは、『火垂るの墓』一篇があるからさ。これがなければ、いくら書いたところで、チンピラ作家エロ作家扱いだったろうね。
――眼には見えないけれども、ある一線ってのがあって、それを越えた一作を持っているかいないかが、大きいんだ。ひとつでいゝんだ。
――君たち、たくさん仕事したいだろうし、有名にもなりたいだろうけれども、若いうちは、その一線を越える作品を、目指したほうがいゝと思うよ。
恥かしながら、私にはそんな一篇はない。だが今なお、自分の生き方を「文学の徒」「文芸の学徒」と称するのが常だ。
「博徒」「遊興の徒」の「徒」だ。ウツツを抜かして打込み、人生の時間を空費する者の意である。漢文読みくだしでお馴染みのごとく、「徒」はイタヅラニである。
また国文では、乗物の助けを借りずに自分の足だけをもって歩く、カチアルキの意でもある。
せっかくのお言葉でしたが野坂先生、私は駄目でございました。けど、もう少々お待ち願えませんか。まだ「徒」でおりますので、ひょっとしたら八十歳までには、いくらかまともなものが、はい。