一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

風が

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風が来たから往くわよ、だって雲なんだもの。

 欠礼したまま溜っているお礼状を、少しでも挽回しようと、夜鍋した。
 「ラジオ深夜便」からは懐かし歌謡、吉永小百合さん特集が流れてくる。

 「いつでも夢を」「寒い朝」、定番鉄板のオープニング。「キューポラのある街」「伊豆の踊子」とくれば、映画の場面いくつかはよみがえってこざるをえない。「勇気あるもの」これは佳い唄だった。
 歌手活動を切上げてからのちも、出演作品に応じて主題歌をという場合があり、夢千代ものが来る。
 往年のサユリストがたはラジオの前で、おそらく全コーラス唱和できたことだろう。

 どなたが発明なさったものか、サユリストとの呼称はひろく定着していた。サユリストを自認する級友もあったが、正確に申せば、サユリストの中核をなすのは、私より何年か上の世代である。
 演じられた人間像は、可憐に見えてしっかり者で、潔癖のあまり少々怒りっぽいのだけれども、ものごとの筋道というか、善悪はよく理解できる少女だ。そこへ粗暴で不行儀な青年が現れる。第一印象はよろしくない。が、偶然の再会などもあって口を利くうちに、青年の粗暴さは正直で実直な正義漢であることからくると理解しはじめ、第一印象は変る。世間知らずの潔癖から脱皮して、自分の想いに率直である術を発見してゆく。
 で、さぁ未来に向けて元気いっぱい羽ばたこう! となる。

 都会的に洗練された中間階級または富裕層のお嬢さん、という匂いから遠かった点が、吉永さんの一大特色だったと思う。恵まれた環境とはけっして申せぬ境遇から、けな気に自立してゆく娘さんのイメージが、広く愛されたのだった。
 ともに頑張ろうっ! 集団就職青年たちのマドンナだった。歌声喫茶世代のマドンナでもあった。

 少し先輩の浅丘ルリ子さんや、吉永さんと同齢の姿美千子さんには、どことなく垢抜けた、都会的センスが感じられた。わずかに、やはり吉永さんと同齢の本間千代子さんが、似た香を発していたかもしれない。
 いずれにもせよ、アイドル女優さんとしてのそのかたがたに私はやゝ乗遅れた世代で、次の酒井和歌子さん・内藤洋子さんという時代の波を、もろにかぶった。
 後年いゝ齢して独身でいる理由を問われて、「酒井和歌子がまだ独身だから」と応えると、ニヤニヤされながらも、妙に納得され、質問者は引きさがった。

 吉永さんは文学部の先輩にあたる。たしか私が入学した年に、入替りにご卒業なさったのではなかったか。「俺、吉永小百合とコーヒー飲んだんだぜ」と自慢する先輩の噂を耳にした。彼が高校の先輩でもあったことから、妙に憶えている。
 ふだんは眼鏡をかけて地味な服装に徹した、よく勉強する学生だったと、だれから聴いても評判が良かった。
 記憶違いでなければ、赤座美代子さんも、同じころ文学部を出て行かれたのではなかったろうか。

 一九七〇年を過ぎると、年追うごとに学生運動の潮が退いていった。シンガーソングライターたちの仕事にも、運動に傷ついた絶望的心象を吐き出したものが、ずいぶん出た。なかにこんなのがあった。(ウロ憶え。引用著作権クリアしていない。)

 ♪  闘い敗れた 若者たちの 帰るところはどこ?
  日が暮れた 公園のベンチ 人波去った西口広場

  闘い敗れた 若者たちの 恋人は誰?
  ベタベタと 壁に貼られた 吉永小百合浅丘ルリ子

  闘い敗れた 若者たちの 明日はどこにある?
  テレビカメラの フィルムのなか 新聞記者のあの胸のうち

 後年からなら、なんとでも云える。未熟な正義感を振りかざして拳を突上げ、自傷行為にも似た乱暴を働き、勝手に傷ついた気になって酔い痴れる若僧たちの、「絶望」と自賛する「傷口舐め」ソング。
 だがその時代に身を置いたものにとっては、さように暢気なものではなかった。この唄も、ほかの反戦フォークとともに、かなりの回数、口にした憶えがある。
 そしてこゝでも、象徴と化した幻想の恋人は吉永小百合さん、浅丘ルリ子さんだ。酒井和歌子さんではない。私はかすかに、乗遅れた学年だった。

 たゞし国家間の戦争であれ、国内政治の異議申し立て運動であれ、学内改革の学生運動であれ、武闘というものの後始末には存外手間どり、時間を要し、気遣いも勉強も必要になる。その点だけは、心して確かめてきた。

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 昨夜の雨と風とで、拙宅の桜はもう、半分が散った。