一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

久慈


 お若い友人の水奥さんから、珍しい食卓のものを頂戴した。

 水奥さんは高校の国語科の教諭だ。学生時分の環境には、将来作家となって文界の第一線に出ようとか、編集者なりディレクターなりとなって集団創作の現場に身を置いて活躍しようなどと考える学友が、うじゃうじゃいた。しかし彼にはさような野心はなかった。少なくとも外見には表さなかった。地道な勉強を重ねて、教職への道を歩んだ。
 サークル活動においても、学友間における信頼感には抜群のものがあって、会長(主将)を務めた。

 下級生からも慕われる存在だったのだろう。その一人だった女子を、夫人とされた。彼女もまた、上級生になったころには、下級生の男子どもの眼がトロンとなるような女性だった。
 新婚生活でのご夫婦会話はどんなもんかと、あるときお訊ねしたら、互いが読んだ本や観た映画の感想を述べあい、情報共有するとのお応え。いつまでクラブ活動夫婦を続けるつもりかと、あまりの清潔さに呆れたことがある。
 その後、愛嬢に恵まれたが、ある程度は予想し覚悟していたものの、これがまた想像を絶する子煩悩。仕事を了えれば、表玄関へ廻る間ももどかしく、垣根を踏み破って帰ってくるという按配だろう。実際は気持だけで、教育現場での労働環境には厳しいものがあるとは、耳にしているけれども。

 老人の独居暮しにはさぞや寂寥感たゞようものがあろうとのお心遣いから、ご一家ご息災の書状に添えてお見舞いくださったのは、夫人のご郷里岩手の美味である。帆立・ウニ・アワビほか、三陸の名産をふんだんに盛込んだ、豪華なチルド料理とのこと。むろん私は、生れて初めて眼にする。
 仙台へとさかんに出張していた時分、駅西側の商店街に朝市が立ったものだが、「三陸の若布どう? 若布若布ぇ」露店の親爺さんお兄ちゃんがたの声が、ピリッと冷えた空気のなかを盛んに飛び交っていた。そのあたりは後年の駅前再開発で、まったく様変りしてしまったことだろう。今行ったところで、迷子爺となるのがオチだ。

 同封パンフレットを眺めると、久慈市のお店の商品とのこと。思い出したくもない、しかし忘れてもならぬ 3/11 のさい、各所からの悲惨な津波映像が中継されるなかに、久慈市海岸からの映像も繰返し流れた。漁業はもちろん水酸加工業も、壊滅的打撃をこうむったことだろう。跡片づけ、街の復旧、産業再興の苦闘を、このメイカーさんも商店さんも、闘ってこられたのだろうか。
 手に取って、しげしげと眺める。なにやらズシリと重たい缶詰である。 

商品パンフレットより。

 久慈という、高潔にして由緒ありげな地名の語源には、いくつかの説があるそうだ。私が聴いていたのは、古代の『風土記』を根拠とする説で、海岸近くの小島が鯨の形をしていることから、久慈は鯨のクジだという説だ。パンフレットに印刷されてあるのは、鯨を左前方から眺めた写真で、この構図が効果的と見えて、同工異曲の写真をなん枚も眼にしてきた。
 ほかの説として、アイヌ語でゆるやかに湾曲した浜辺を指すとのこと。初めて知った。久慈という地名も、それに近い発音・表記をもった地も、全国にあんがい多い。しっかりしたご研究がどこかにあるならば、一読に及びたいところだ。

久慈あさみ(1922 - 96)

 唐突だが、私にとって久慈と申そうならば、久慈あさみさんである。東宝の喜劇映画社長シリーズで、主人公森繁久彌さんの奥方を演じられた女優さんだ。
 仕事は有能だが好色無類の社長さんが、ヒイキにして通い詰める芸者(ときにはバーのママ)が新珠三千代さん。出張先で出逢うママさんとなると、草笛光子さんだったり淡路恵子さんだったりする。
 本妻久慈さんは、ほど好くヤキモチを焼いた振りをする。この夫は途方もない女好きではあるが、身をもち崩したり家庭に波風立てたりはけっしてしない。それどころか、この亭主から好色を盗ってしまったら、仕事の活力も萎えてしまいかねないと承知している。手綱の要所を握って、時どきヤキモチも焼いてあげて、あとは泳がしておくにかぎると見切っている、賢い社長夫人だ。
 私は司葉子さんや、団令子さんや、星由里子さんを観たくて東宝映画を観た子どもだったけれども、そして後年は酒井和歌子さん一辺倒となるのだけれども、それらはいずれも長い噺となるので今は措く。久慈あさみさんの姿には、素敵なお母さん、魅力的なオバサマとして憧れたものだった。

 宝塚歌劇の男役トップスターだった久慈さんと、同期で娘役トップだった淡島千景さんとのコンビで、一時代を画したそうだが、私はむろん世代的に間に合っていない。
 戦時下のタカラジェンヌたちの進路選択は厳しく、戦地慰問に明け暮れして、ご苦労なさった女優さんがたである。
 戦後、相方の淡島さんが映画へと転身したのに刺激されて、みずからも映画界へ。お若いころの映画出演作品のおゝかたにも、私は間に合っていない。あの社長夫人は、どういう女優さんなのだろうとの興味から、のちに遡って捜してみたにすぎない。
 文芸原作ものや巨匠名作ものの多い淡島千景さんとは役どころが異なるため、久慈あさみさんを捜すのには、けっこう骨が折れる。が、捜し甲斐はある。同じ道を行く同好の士にとんと出逢わない。単独行の歓びがある。