一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

モノマネ

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機関誌『雲』8号(兼『罪と罰』パンフレット)

 もしもあの日、あの時刻、有楽町駅のホームに立ってさえいなければ……。

 生意気にも洋画ロードショウに小遣いを注込むことを覚えた高校一年生は、日曜の午前十時上映の第一回を、おそらくはパンテオン劇場で観た。幾度もかよったロードショウ館だ。その日なにを観たかは、記憶にない。
 帰路、有楽町駅のホームで、電車を待っていた。眼の前に、そごう百貨店。屋上から地上へ向けて垂れ幕が下り、でかでかと「罪と罰」の文字。やゝ小さく、ドストエフスキーとも劇団雲とも。夏休みに、青息吐息で読み了えたばかりだった。映画ではなく、芝居が実演されるらしい。
 読売ホールだって? ふぅん、デパートの中に劇場があるのか。今やっているのか。日曜は一時、もうすぐじゃないか。

 最短区間切符を入場券代りにと駅員さんに願い出て改札口を通過。百貨店内に踏み入ったものの、最上階への専用エレベーターなど知る由もない。階段を昇った。
 各階売場とは、がらりと空気が一変した。階段にもエレベーターにも対応できるようにだろうか、微妙な斜めの角度に長机が置かれ、綺麗なお姉さんが三人いた。この人たちも女優さんなんだろうか。
 芝居というものは、映画のようなわけにはゆくまい。前売券もなしに観られるものだろうか。
 「あのぅ、当日券というものは、あるのでしょうか?」

 最後列中央やゝ下手寄り。背後は壁で、高い位置には四角い窓が大小三つ。中では音響だか照明だかのスタッフが仕事してるらしい。
 始まると、松村達雄さんのマルメラードフが延々と酔っぱらいの長台詞。面白いもんだ。高橋昌也さんのラスコーリニコフと谷口香さんのソーニャ。岸田今日子さんのアヴドーチャが神山繁さんのスヴィドリガイロフから虐められる。筋はあらかた知っているから、最後列にいたって、台詞はほとんど聴き取れた。

 さて芥川比呂志さんのポルフィーリイ登場。猫背で歩くほっそりした役者さんなのに、台詞が驚くほど明瞭に聞える。隠しマイクでも使っているのではないかとさえ思った。息が詰まった。座席に凍り着くとは、このことだ。
 ポルフィーリイがラスコーリニコフを追詰めてゆく。「あなたがね」と指差す芥川さんの人差指が、削りたての赤鉛筆のようだ。苛立った高橋さんのこめかみに立つ青筋が見える。
 嘘だ、そんなもん見えるはずない。が、高校生はたしかに視た。

 もしもあの日、と思い返すことがある。有楽町駅のホームで、山手線を待っているくせに、背後の京浜東北線方向を眺めなければ、そごう百貨店は眼に入らなかった。
 いやそれより前に、国鉄(JR前身)で遠回りせず、地下鉄丸ノ内線での最短路で池袋へ戻っていたら、こんな出会いはありえなかった。池袋・日暮里間の通学定期券を所持していたから、有楽町から最短区間乗車券を買って、キセル乗車するつもりだったのだ。(今は無き国鉄さん、ご容赦を。)

 ところでその日がいつだったかだが、チケット半券が残っていないので、正確には判らない。日曜祝日以外は高校生が自由に出歩けるはずもない。プログラム記載の公演日によれば、十一月七日か十四日しかありえない。二十一日は公演がなく、二十三日の祝日は楽日で、楽日独特のカーテンコールを観た記憶はない。
 記憶は手前勝手に再構成されるからあてにならぬもので、夏休みの原作読了後ほどなく、九月かせいぜい十月前半のことだったと、長らく記憶していた。だが実際は十一月。つまり次なるショックの劇団民藝ゴドーを待ちながら』まで、わずかひと月だ。

 この時期、私になにが起っていたのだろうか。どう練習したらシュート力がアップするかと真剣に考えるバスケットボール少年であり、日曜日ごとに映画館とモダンジャズのレコードを聴かせてくれる喫茶店とをハシゴして歩き、音楽を聴きながらノーマン・メイラーやジェームズ・ボールドウィンなど翻訳アメリカ小説に読み耽る、落ちこぼれ少年だった。そこへ突如として、芝居が降ってきたわけだ。
 とはいえ芸術といえば文学が一番と考えていた高校生には、こんなふうにも思えた。芝居はあんがい、文学の近くにある。映画やその他の分野より近い。なにせその日手にした機関誌『雲』の目次たるや――

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 お前はどうせ、そんな奴。その出会いがあろうがなかろうが、遅かれ早かれさような人生となったに違いない、という声も聞えてくる。大人の人間観だ。
 ともあれその日、公演パンフレットを兼ねた機関誌『雲』と、福田恆存の脚色台本が掲載された、表紙に福田恆存のサインが入った雑誌『自由』との二冊を、ロビーで買った。
 原作を再読する機会は、その後大学生時代に一回と、三十歳過ぎてから一回としかなかったが、雑誌『自由』の掲載台本は、おそらくその十倍は繰返し読んでいる。
 後年ほとんど書かなくなって、文学について喋ってばかりいる情けない身の上となったが、その「お喋り」といったところで半分は、その日の芥川比呂志さんの台詞回しのモノマネに過ぎない。