一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

白鳥

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 飯坂温泉の温泉玉子だという。珍しい。いかにも躰に好さそうだ。

 昨日、さぞかし弛みきった顔をしていたことだろう、吉瀬美智子さんと実際にお逢いしたらどうしようなどと妄想逞しくしながら、パソコンに向っていると、インタホンが鳴った。日ごろなにくれとなくお気を遣ってくださるご近所の奥様が、立寄ってくださった。独居老人の生存確認というところだ。お手土産に、きざみ海苔と温泉玉子をくださった。

 大判の海苔を使う機会などめったになくなり、私にはきざみ海苔で十分足りると、当ブログに書いたところ、近所近隣では、この店のきざみ海苔が一番美味いのだと、実物を添えてお教えくださったわけだ。この手の情報は奥様パワーに限る。併せて、温泉玉子もいたゞいたわけだ。

 創刊に参画した四冊目の同人誌は『駱駝』といって、自分で申すのも厚顔ながら、力ある書き手・読み手が揃っていた。私ともう一人が三十歳前後、あとは五十歳前後という、間がスッポリ抜けた十人ほどの編成だった。
 今でも同世代のなかで、私が比較的古い文学事情まで承知しているのは、この雑誌で鍛えられたことが与っている。
 
 福島大学に奉職している同人が一人あって、同人会や合評会のたびに上京するのは気の毒なので、ある号の合評会を、観光旅行を兼ねて福島でやろうということになった。結果は彼が案内役として骨折ることになり、彼の慰労にも彼へのお礼にもならなかったわけだが。

 福島駅では乗換えたのみで、ついに市内へは出なかった。飯坂温泉の和風老舗旅館「なかむらや」が予約されていた。まん前が松尾芭蕉ゆかりの鯖湖の湯で、公共浴場ではあるが、宿泊客は無料で入浴できた。いかにも古来の湯治場らしい、薄暗く雰囲気満点の湯殿だったが、お湯は熱く、心地好かった。五十歳組には熱過ぎたようだった。

 夕食後は合評会なので酒は控えたが、湯にも食事にも満足して浴衣丹前に着換えた気楽さがあり、いつものようには閉会・退席時間を急かされない安心もあって、議論は発展し過ぎ、明け方までの徹夜合評会となってしまった。
 翌日は文知摺観音まで歩こうということになった。古今集の「みちのくのしのぶもぢずり誰ゆえに」のゆかりで、これも歌枕の旅である。

 惜しいことに、寝不足が祟って、この徒歩行の記憶がほとんどない。途中橋を渡って川越えしたが、流れが蛇行して川幅が少々広くなっているあたりに、白鳥が羽根を休めていた。ひと目ざっと五十羽。よく視ると白鳥の周囲には、いるはいるは鴨の群がまず五~六百羽以上。
 河原へ降りて、しばし見物した。これほどまとまった数の白鳥を肉眼で視たのは、初めてだった。観音様の拝観時間が迫っているから路を急ごうと、五十歳組から急かされたが、観音様なんかどうでもいゝという気がした。
 「多岐は変なところが敏感で、肝心なところが鈍感だ」と冷かされた。
 「どっちがだよ」と、内心思っていた。

 指を折ってみると、存命と確認できるのは当時五十歳組の女性が二人だけ。あとは旅発ったか安否不明。双璧女史もそれぞれに外出しづらい事情や体調を抱えていて、めったに会う機会もない。墓参りにも、もう何年も行っていない。