一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

じつはすでに

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ATG機関誌(プログラムを兼ねる)、チラシ、半券(1966.7.11)

 心に刺さった小さなトゲが、人の一生を左右する。

 映画史に暗い高校生でも、『市民ケーン』の題名は知っていた。めったに上映される機会のない、旧い名作だと聴いていた。なんと、昭和十六年に製作された作品だ。日米開戦直前のこととて、日本の庶民に公開されたのかどうかは知らない。
 さすが、アートシアターはありがたい、などと考えて入館した記憶がある。
 
 二十五歳になったら途方もない遺産を相続することと引換えに、親からも無邪気な雪遊びからも引離され、孤独な英才教育下に置かれた少年の、その後の一生。彼は膨大な遺産のうち鉱山事業にも工場経営にも不動産業にも興味を示さず、新聞事業のみを相続した。
 権力に気遣って尻尾を振る新聞が横行する時代に、彼の新聞は歯に衣着せず不正を暴き、権力者をこき下ろした。大衆人気は沸騰した。反面どこかしら、大衆を自分の目的実現の道具と視ているようなふしもあって、解りにくい男だった。
 巨万の富を築いて時の人にのし上ったものの、権力者からは共産主義者とのレッテルを貼られ、労働組合からはファシストとのレッテルを貼られた。

 歿後、後輩の新聞人たちは、彼ケーン氏とはいったい何者だったのかと、その人間像探求のプロジェクトを立ち上げた。ことに臨終のきわに呟き残した「ローズバッド(バラのつぼみ)」との謎めいた一語の意味が詮索された。
 旧い後見人や相棒や部下や使用人、最初の夫人(大統領の姪)や二人目の夫人(歌手)らに面会・取材して歩く。『舞踏会の手帖』みたいな構成だ。しかしついに突き止めるには至らなかった。

 取材チームのキャップ「すべてを手に入れ、すべてを失った男だ。バラのつぼみもそのひとつに過ぎなかろう。そんな一語で、人の一生が説明できるものでもあるまい」
 博物館五個分とも云われる膨大なコレクションが館から運び出され、これまた大量のガラクタ類が巨大な暖炉に次つぎと放り込まれてゆく。
 「そんなものも、燃やしてしまえっ」
 子どもが雪上で遊ぶソリが、火にくべられる。めらめら燃えてゆくソリの表面には、紅いバラのつぼみの画が描かれ、ローズバッドと書かれてある。雪深い北の町で、貧しいながらも母と暮していた少年が、愛用していたソリだった。
 ケーンは、世の人びとが口を揃えるような、すべてを手に入れた人ではなかったのだ。

 高校生には、難解な映画だった。当然である。アメリカ史についても、世界恐慌についても、新聞界についても、なんの基礎知識も持合せなかったのだから。
 だが幕切れのソリの画の意味は、理解した。おもて向き理屈っぽいことを云ったところで、人の心の奥底に引っ掛っているのは案外そんなものだ、というふうに。

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 今、観なおしてみると、内容もさることながら技法的にも、これは大変な傑作だ。レンズの絞りを目一杯絞って(そのぶん光量を極端に上げなければならない)、手前と奥の双方にピントが合うように撮る、パンフォーカスという撮影法はこの作品が最初とされているのは有名だが、それだけではない。
 ワンカットがとにかく長い。説明的なクローズアップを挿入することはない。役者たちは、舞台での芝居のように、むずかしい台詞の掛合いも微妙な表情も、一気に通す。とんでもなく緊張感に満ちた撮影現場だったことだろう。

 『市民ケーン』を観た溝口健二は、「アメリカにぼくの真似をした奴がいる」と云ったそうだ。『元禄忠臣蔵』のころ溝口組で美術を担当していた新藤兼人さんが、証言しておられる。そう思って観れば、『雨月物語』にも『山椒大夫』にも、『赤線地帯』にだって、画面には似た匂いがあるかもしれない。

 ところで、母親と幼少風土とから切り離されて、自己中心的な愛情乞食の怪物に育ったケーンの前に「市民」と付いているのは、なぜだろうか。
 西ヨーロッパなりイタリー・スペインなりアフリカ諸国なりから、なんらかの意味で切り離された人びとであるアメリカ国民は、多かれ少なかれ「ケーン」なのだとの見立てではあるまいか。
 とするならば、グローバル化とか外国が近くなったとか、帰化外国人による国民多彩化とか英語教育が早期化したとか、美味しそうなプラス面の背後で、旧弊日本人のケーン化という問題は、発生しないのだろうか。日本が表面上日本であり続けてはいても、じつはすでに日本ではないというような問題が。