一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

上々吉

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 昔は、この一年の運勢を占う気分があったもんだが。

  一昨日はたいそう陽射しが好く、しかも珍しく午前中から目覚めていたので、食糧買出しを遠回りして近所散歩したのだったが、途中郵便局へも寄った。
 たまたま他に客がなかったからか、自動扉を入るなり女性局員から声を掛けられた。お爺ちゃん、どうしたの? という感じだ。やれやれ、いたわられてしまった。齢に加えて、この粗末ななりだ。いたしかたあるまい。

 「あのぅ、今日は用件じゃなくてぇ、年賀はがきのぉ、こういう……」
 咄嗟には的確な言葉が出てこない。近年顕著となった症状だ。あっ、これこれ。カウンター隅のラックに、メモ用紙大の印刷物の束が刺さっているのを見つけたのだが、手を伸ばすより一瞬早く、隣の窓口の男性局員から、ハイッと差出されてしまった。
 お年玉はがきの当選番号発表チラシである。どうも、と口ごもるように礼を云って、両手で受取って頭を下げるしかなかった。やれやれ。

 今日は好天なのに肌寒い。外出する気が起きない。一昨日の買出し食材を、昨日いっせいに調理したり下処理したり冷凍したから、冷蔵庫は一杯だ。床屋も墓参りも、億劫だ。今日じゃなくても好い。となれば、外出の要もないから、パソコン相手に碁でも打とうかと考えていたら、ふいに買物袋の底に沈めたまゝそれっきり忘れていた、当選番号チラシを思い出した。で、拝受お年賀のファイルを持出して、照合し始めた。

 照合といっても、出す数も受取る数も近年めっきり減ったから、雑作もない。人生がもっとも忙しかった時分の、およそ四分の一である。
 仕事および仕事場が減るにしたがい、賀状を書く枚数もいたゞく枚数も減ってきた。加えて昨年二枚、末尾に年賀は今年限りにしますとのご挨拶が付記された賀状をいたゞいた。また年末にはさらに二枚、喪中につき御免のはがき文面に、これを機に賀状これまでのご挨拶があった。

 知友も私と同じペースで老齢化している。日ごろ接する機会の少なくなった知友への賀状労力はご負担なのだろう。いつ辞退しようか、いつ切出そうかと、かねがね思案しておられたところへ、古稀を迎えただの、六回目の歳男になっただの、身内に不幸があっただのといった機会が訪れ、ご決断なされたのだろう。ごもっとも至極である。お気持を察して、当方からもご遠慮させていたゞくことになる。
 むろん改まっての挨拶などなしに、ある年からふいにいたゞかなくなるかたも多い。

 教員稼業にあったものは、卒業生がたからの賀状がさぞ大変だろうと、ご同情くださる向きもある。これについて私は、薄情なようだが、最初からかように処してきた。
 頂戴したかたには、かならず返信差上げる。毎年頂戴するかたであっても、初めからお出しすることは控える。
 万々が一、先方がお出しでないのに、当方からの賀状が届いたりしたら、シマッタと思われるだろう。先方のお気持のご負担いかばかりか。その後おいそれと中止の決断もしがたくなられよう。
 旧教え子さんがたに関しては、賀状交換するも止めるも、先方次第が原則と考えている。毎年交換してるのに、今年も返信かよぉ、と情なく感じられてしまう場合も生じようけれども、上記のシマッタを回避するにはこれしかないと、考えている。

 考えてみるまでもなく、先方は働き盛り・分別盛りの人生絶頂期。公私にわたり交際範囲は広がる一方。ご職業・ご家庭、お暮し模様は年々変化してゆく。当方は老いらくの隠居。なにごとも決定権は先方にあると申すべきではないだろうか。

 さて今年の運勢は、三等切手シート下二桁、五枚当選。拝受賀状六十通ほどのうち五通とは、上々吉。こいつぁ春から~、ではないだろうか。お年玉をくださったのは――
 小説家の佐藤洋二郎さん、ありがとうございます。
 ご夫婦そろって私の教室におられたという、なんともお気の毒なカップル二組。丹沢君ご夫妻、森本君ご夫妻、ありがとうございます。
 府中の親戚と藤沢の親戚(名は秘す)、ありがとうございます。

 枚数から申せば最多部分を占める、高校・大学時代の学友、かつての同人誌仲間、出版・編集者仲間たち、ゼロ!
 皆、私と同じ歩調で、一歩々々齢を重ねていってる、といったところかしらん。