一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

春彼岸

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 絶好の墓参り日和だった。

 いつもどおりに明けがた就寝してしまうと、寝過してしまう。徹夜と肚を括って、山積みの雑用を少し追いつくことにして、朝を待った。二十四時間スーパーにて買物。パソコンに向って、ソフト相手に二局ばかり碁を打つ。朝食。起きぬけでもないのに、朝食はおかしいか?

 頃合いの時間となり外出。まず銀行ATMにて、底を突いた生活費に彼岸費用を加えた額を引出す。池袋へ。久びさの電車。日曜は空いているかと思いきや、案に相違の乗客数。疫病はメディアで騒いでるほどでもないのだろうか。
 西武百貨店にて供物を。春の彼岸は和菓子だろう。とは思うものの、この時期お寺さんは、甘いものだらけとなろう。なにか気の利いたものはないかと、しばらくウロウロしたが、好い案も出ない。
 結局は馴染の両口屋是清に相談。定番の茶席菓子ではなく、季節限定の焼き菓子とする。ご本尊の前には、菓子折りが山と積まれるはずだから、日持ちのしないものは駄目だ。
 仏前用の地味な包装紙に包んでもらい、時代遅れの紐掛けをお願いする。仏前袋を挟むためだ。売り子さんの前で、用意してしまう。このお爺さんはいつもさようだと、彼女も知ってくれている。おたくさまの店で、あなたがお生れになる前から、そうさせてもらってきたのですよ。

 せっかく外出してきたのだから、ジュンク堂へもロフトへも、タカセ珈琲ラウンジへも寄ってみたい気もするが、寝不足の身であれこれしようとするのは間違いのもと。欲はかゝずに、さっさと電車へ。
 駅前の花長さんで、いつもの花。金剛院さまの象徴と申してもよい朱塗りの山門を入ると、予想どおり、境内は花また花であった。

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 庫裡へご挨拶。副住職が出てこられたので、先日ご郵送いたゞいた弥勒菩薩黄金カードのお礼を申しあげ、併せて『金剛院だより』最終号がたいそうお見事で、いたく感動した旨を申し添える。伝えておきますと、副住職は照れたように微笑んだ。
 線香と水をいたゞいて、墓地へ。花立ても水受けも、かなり汚れていた。掃除道具を持参していなかったので、紙タワシで少々磨く。花束を包んでくれた花長さんの紙を細く絞り丸めて、おしぼりのようにしたものを、「紙タワシ」と称んでいる。もちろん、俳諧でしばしば用いる「草たはし」からの連想による、私の勝手な造語である。

 本殿にも参る。彼岸期間中は、五百年記念法要のご本尊である弥勒菩薩像が御開帳されている。手を伸ばせば届くほどの近距離で拝見できる。
 同行数百名のお名が記された巻物も、ひろげて展観に供されてある。細かい文字を眼で追うと、たしかに私の名もあった。彼岸期間が過ぎると、弥勒菩薩像の胎内(じつは座下の空洞)に納めていたゞくことになる。

 大師堂(札所)と大師銅像にも参る。銅像を囲んで四方に阿波・土佐・伊予・讃岐、四本の石柱が立っていて、踏石もある。下にはそれぞれの国から取寄せた土が埋めてあって、お参りしながらひと回りすると、四国八十八番を巡礼すると同じご利益ありとの、ゲーム性のつよい銅像である。
 他愛のない仕掛けではあるが、毎回巡ることにしている。

 かたわらにマンガ地蔵が立っている。線路を挟んだ隣町にはトキワ荘の跡地があって、熱烈漫画ファンにとっての聖地となっているらしい。金剛院さまも新観光名所による街起しにひと役買ったかたちか、まだ二十年は経たぬと思うが、この地蔵が現れた。こゝがマンガ地蔵ですよとばかり、初参拝者への目印として、地蔵前にドラえもんが立っている。

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 やれやれ、今年の春彼岸も、これで済んだ。
 ご近所では、つい三四日前までは素振りも気配も見せていなかった辛夷が、急に開花し、拙宅の桜は一日にして、二十輪三十輪と開花している。膨らんだツボミの先が割れて、白い花色が覗いているものを含めたら、もう数えきれない。