一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

ブランド品



 村上から鮭が届いた。塩引鮭で有名な、越後村上である。

 むろん鮭一匹丸ごとではない。鮭の身や、使える部位を巧みに調理した加工食品だ。また村上に昵懇のかたがあるわけでもない。柏崎在住の従兄が、村上の老舗商店の名品をお手配くださったのである。が、いたって世間の狭い私にとっては、こんな機会でもなければお眼にかかれぬ商品であって、へぇ村上の鮭かぁと、驚きもしありがたく感じ入りもする。
 現代にあっては、これが村上の川を溯上してきた鮭とも、村上の港に陸揚げされた鮭とも、まさか思わない。オホーツクで獲れたかもしれぬし、遠い外国から冷凍されて運ばれた材料かもしれない。けれど事情に無知な私は、村上から鮭が届いたと、大歓びする。古くより云い伝えられた「物語」を歓んでいるのだろう。これがブランド力というものか。

 大分県臼杵市へいく度か出張した時代があった。地元のお医者さまが、かつて新米の軍医として従軍した戦時中の体験やら、戦後復員して苦労の末に病院経営を軌道に乗せるまでの苦労噺を一代記としてまとめたいとのご要望が寄せられた。聴き書きゴーストライターの仕事である。ギャラの高い仕事ではないが、耳寄りな噺が聴けることが多く、著者が地方在住の場合にはちょいとした旅行気分も味わえるので、嫌いな仕事ではなかった。
 なにせ相手は地元名士のお一人である。取材が一段落したあとは、「記者さん記者さん」とおだてられ、たいそうなおもてなしに与った。こんな歓待してくださるよりギャラをもう少し、との本音は隠して、遠慮なくご馳走になった。

 臼杵はフグの本場である。豊後水道の強い海流に鍛えられたフグの身の締りは日本一で、ここより美味いフグが食える場所は日本国中にないとのお説だった。
 臼杵へ揚げるより下関へ運んだほうが好い値がつくので、ここらの漁師は地元へ帰港せずに下関港へと直行する。下関名産のフグなんぞと云ったところで、なぁにここいらのもんです、とのことだった。これは下関へ運んではもったいないと判断したごく少量だけを、地元臼杵に立寄って降ろすのだという。だから下関ブランドをちゃっかり利用させてもらってはいるものの、フグの格は臼杵が断然上だとドクターは胸を張った。
 おかげさまで、関アジ、関サバ、城下(しろした)カレイについちゃあブランド化に成功したものの、フグについちゃあまだ下関でしてな、とのお言葉だった。なにがどう「おかげさま」なのかは判然としなかったが、面白い噺だとは思った。

 さて酒と突出しのあと、お約束のてっさが出てきた。巨大輪の菊花のごとくに盛りつけられた薄造りを透して、大皿の染付けがくっきり透けて見える。中央には、刻み葱ともみじおろし、これも定番だ。おやっ、と思ったのは、すき焼であれば生玉子を割込むほどの大きさの蓮華型の小鉢が添えられてあることだ。肌色というよりは濃く、黄土色というよりは淡い、なにやら艶々しいものが盛られてある。不吉な予感がした。
 「肝ですわ。この臼杵にも、平気で肝を出せる店は三軒しかありません。ワシら、肝を食わせんような店を、フグ屋とは云いませんわい」
 東国人としては許容しがたいような甘めの醤油に、フグ肝を大胆に混ぜ込む。ワサビ醤油だのショウガ醤油なんていう可愛げな量ではない。箸先でドロドロにして、カレーかクリームシチューの粘度としたものに、てっさを絡めるようにしていただくのである。こと食い物に関しては、好奇心のまま物怖じせずに試みる性分の私ではあるが、これは面白そうだと待つ間も惜しく箸を延ばすといった気分には、さすがにならなかった。
 が、人生において好奇心は理性に勝る。結論を申せば、ドクターのご自慢噺は嘘ではなかった。形容を絶する、美味い食い物だった。

 だがしかしとも思う。人間に器量という問題があるように、舌にも分相応というものがある。開高健というお人は、アムール川の鮭とアラスカの鮭との味の相違をおっしゃったりなさった。檀一雄というお人は、新宿で飲んでいるうちに談たまたま博多の美味いもの(なんだったか忘れた)の噺になって、食いたくて堪らなくなり、お供していた編集者に向って、今から博多への夜間航空便を手配してくれとお命じなさった。
 臼杵にて私は、肝醤油和えのフグ刺しという絶品を賞味させていただく舌福に与ったが、そしてそれはいともありがたきおもてなしではあったが、生きてる間にもう一度くらい食べられたらそれで十分だとも思ったのだった。

 三十年以上が経った。その「もう一度」を経験する機会はまだ巡ってきていない。村上の鮭。私ごときにはこれだけでも、十分な歓びである。