一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

食いきる

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本日も完食! ご馳走さまでした。

 自炊生活であるからには、通常完食だ。食いたいものを作り、食うべき分量を盛りつけるのだから、当然だ。つけ合せや飾りものを添えたりしないから、当然だ。たっぷりソースにまぶす料理も、汁に具を泳がせておいて具だけ食べたら汁は残すという料理も作らないから、当然だ。
 魚の骨やヒレが残る日がある。梅干の種が残る日がある。それらがない日は、俗に云う野良猫すら跨いで通る状態となる。

 それでも食事光景は、他人さまにはとうていお見せできぬと思っている。我ながら、作法において上品とは思っていない。
 納豆の小鉢が空になってからも、小鉢の底や側面にべたりと着いたネバの残りを、スプーンの先でこそげ落して、舐める。スプーンや箸に残るネバも舐める。行儀悪いとされる、いわゆる舐め箸である。
 目玉焼きは白味を先に食べて、黄味は最後に粥の上に移動させ、崩しながら食べる。どんぶり粥の仕上げである。半熟の黄身を皿の上で崩せば、どうしたっていくらかは皿に付く。粥に乗せれば、どんぶりにも付く。二重のロスである。だから避ける。
 食事の〆に、白湯か麦茶をどんぶりに少量差して、賄いをいたゞく雲水さんがたのように、どんぶりの内側を箸かスプーンですゝいで、飲み干す。

 若い時は、これほどではなかった。四十歳代に一度、六十歳代に二度、計三回の入院体験を通じて形成されてきた、身勝手な「こだわり」かと思われる。
 入院期間中は、いわばサバイバル生活だ。一日でも早く退院する、現場復帰する。そのためには、細かい注意事項の地道な実践あるのみ。
 栄養士さんが「この食事は六百キロカロリー」と計算したら、汁やソースや調味料まで含めて六百キロカロリーである。粗相に食べたのでは、規定カロリー・規定栄養素を摂取し損ねることになる。小遣い使っての間食は禁じられているから、給食を無駄なく食いきることは、患者にとっての主要な使命のひとつとすら云えよう。

 入院患者にとっての二大使命は、食事と回復期のリハビリである。リハビリはプログラムの二倍が基本だ。脳梗塞の回復期と腸捻転手術後は、これが功を奏した。脳梗塞は再発が怖くて基本程度に留めたが、腸捻転手術後は別に規定もなかったので、思いきって増量した。
 公衆電話やプリペイドカード(テレビとランドリーに必要)自販機が設置されたエレベーターホールが、端から端まで目測で片道およそ三十メートル。往復で六十メートル。十七往復すれば約一キロになる。
 手術後翌々日に、管が三本繋がった点滴スタンドを相棒に一キロ歩いた患者は、珍しかったかもしれない。管の数は日に日に減ってゆくから、三日目からは朝昼晩で計三キロ。五日目には管がすべて取れ、点滴スタンドから解放されたので、平地三キロに加えて、階段昇り降りを加えることができた。
 部長回診のさい教授から、アンタ本当に手術受けたの? と云われたときは、我ながらシテヤッタリの想いだった。

 ところが心臓のときだけは、これが通用しなかった。過重にリハビリすると、心臓の負担増となり、害となる。理学療法士の先生からえらく叱られた。
 心臓に楽させながら、全身各所を回復させてゆかねばならない。アクセルとブレーキを小刻みに踏み替えて、さながらヘビ道をそろそろと運転してゆくようなものだ。理学療法士さんと二人三脚で、五十メートル歩いては血圧チェックし、また五十メートル歩いては心拍数チェックするという具合だった。
 理学療法士さんにとっては、心臓の患者が最高級難度ということだった。ちなみに、もっとも容易なのは整形外科の患者で、そんなのは実習学生でもできると、笑っておられた。

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 ともあれ、かようないきさつを経て徐々に形成されてきた、我が食事作法だ。お上品な行儀という観点からは、他に推奨申しあげかねる。しかし今のところ見合いの予定も、やんごとなき筋との会食予定も入っていないので、身勝手を押しとおしている。
 ついでながら、あと片づけと洗いものには好都合である。