一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

軍曹殿



 まず地ならしに牛乳がまいります、軍曹殿。一両日不規則が続いて、定常に復するに間が空きましたが、本日はご安心を。隊内の安定を維持すべく、目立たぬ微量要素も漏れなく配備いたしました。

 喉を通過して食道を下りきった、ちょうど胃袋の入口あたりでは、いくさ上手の古手軍曹が粗末なパイプ椅子に腰掛けて眼を光らせ、入ってくる物資を点検仕分けしている。経験豊富にして隊内の隅ずみまで熟知している。ほどんどの交渉事を、私はこの軍曹とする。
 司令官は唯一の将官たる脳中将である。大隊長クラスの佐官はいく人かいて、胃中佐、小腸大佐、大腸中佐、肝臓大佐、腎臓中佐、膀胱少佐などがいる。尉官となると、かなり数が多い。目立った活躍場面など視たこともない虫垂衛生官なんぞも、階級だけは少尉であって、下士官だの兵卒だのとは待遇が異なっている。

 すわ一大事という戦闘にさいしては、将軍以下将兵総動員となるが、さような大病・入院・手術といった場面は、この七十数年に三回しか起らなかった。たいていは将軍に判断を求めたのち、各連隊もしくは大隊にて処理され、報告だけが将軍に上げられる。
 糧秣物資の補給等、隊内との日常的な連絡のほとんどは、私と軍曹との申し合せによって取決められている。

 「それはえらく気が利いた。ここんとこ壁が荒れててのぉ。酒がだいぶ通って行ったわい。これが普段だった昔もあったが、近年とんとご無沙汰で、懐かしいようなもんさ」
 まず、兵員そのものを送ります。チーズと納豆です。神経質な小腸大佐殿へのご機嫌取りに。
 「よしよし、なにせ体内細菌のほとんどを擁しておる大部隊で、口うるさくてかなわん。員数割れするとすぅぐに苦情を云ってよこす。体重のうちの 1.5 キロは腸内細菌だゾ、解っておるのかっ。もう耳にタコだわい」
 辛子と青菜お浸しと鰹節と麦茶なんかも、一緒でかまいませんよね。
 「かまわんとも。胃中佐に伝えとく。玉子は別かい?」
 それはあとでソーセージや缶詰イワシなどと一緒に、主食ぷらすタンパク質荷物としてお納めします。
 「なるほど、大佐には酵素隊の準備を進言しておこう」

 生の玉ねぎは酢味噌和えでまいります。かなりの量ですよ。友人が家庭菜園の成果を送ってくれましてね。新鮮そのものです。じゃが芋も同様に穫れたて。こちらは雁もどきや人参と煮たものが行きます。蕪の浅漬も付きますよ。
 「そいつは好い。野菜類ふんだんだと、小腸大佐がめっぽう忙しくなるから、こちとらは静かでいられる。胃中佐のお相手しながら、ゆっくりできる。玉子は来ないかい?」
 慌てないでください。腸内細菌の増援兵を送りましたが、餌がないと元気が出ませんでしょう。今日は吸収容易な粥飯です。昆布と若布を混ぜ込んでありますし、いつものようにすり胡麻と紫蘇と青海苔を振りかけておきますから。それからいつもの血管の味方、ラッキョウとニンニク味噌漬をひと粒づつ。
 「玉ねぎのほかに、定番も来るかい。わしの仕分け腕前の見せどころというわけじゃねえか。血液サラサラ酵素分隊がいつでも出動できるようにと、大佐に進言しとかにゃあ」

 軍曹さんの作業場もてんてこ舞いで、空気が濁ってきては作業もなさりづらいでしょうから、ペーハー調整に梅干もほんのひと箸ですが、添えておきます。
 「そこを気遣ってもらえるのはありがてえや。目立たぬようでも、あんがい欠かせねえところじゃて。ときに、玉子は来ねえのかい?」
 行きますってば、そいつらと前後して。今日は半熟目玉です。云ったように、ソーセージとイワシ缶もいっしょですよ。大佐のところのタンパク吸収隊によく云っといてくださいな。
 「そいつは大丈夫だ、胃中佐んとこの兵卒が案外有能でね。腸内細菌隊だの酵素隊だのタンパク隊だのが、それそれ出動したくなるような匂いと固さにして物資をちらつかせやがるからねえ、イチコロさ」

 では軍曹。あとは万端おまかせいたします。どうかよろしく。
 「ちょい待ち。細ごま念のいったフルコースを仕分けるんだ。もちろん任務は任務さ、きっちりやって見せるがね。働いたあとの、そのぅ、なんちゅうか、そのぅ……」
 袖の下ですね、軍曹さんへの。ご心配には及びません。食後に茹で小豆と珈琲は、ちゃんと用意しますから。
 「そうかい、そんならいい。いつもながら、アンタ気が利くねえ」
 現金なもんですねえ、軍曹さん。解りやす過ぎますよ。
 「ほぅ。んなら云わしてもらうがね。若いときにゃあ連日の酒で壁はいつもボロボロ。六十年近く吸い続けてる煙草は、今もって止める気配もねえ。おまけに昼と夜の区別もろくにねえ不規則生活。それでもなんとか保たせてきたのは、一体全体だれの手柄だと?」
 軍曹、それは云いっこなしということで、ひとつ。